年末になって忙しい、もっと時間が欲しい…と。 じゃあ私が時間を少しあげますよ…なんてできる? 時間ってなんだ? 人とやりとりできる物体ではない。熱・光・電波などのようにものを動かせるエネルギーの類でもない。力や重力のようなエネルギーでもない。 長さのような単なる尺度?それは言えるかもしれないが、何の尺度?時の流れの尺度。では時ってなんだ? 学生の時、時間と同様に勝手に大きくなっていくものにエントロピーがあると習いました。エントロピーとは散らばり方の尺度であり、時間と共に単調に増大していくとか。宇宙はビッグバン以来、光速で拡張しており、星は散らばり続けている。私の部屋もたまには整理するが目下散らばり放題。部屋を片づけると部屋のエントロピーは下がるが、その為に体内のエネルギーを消費するので、身体の成分が燃焼し、糖分が水や炭酸ガスになりエントロピーの合計はやはり増えているのだとか。 したがって、時間とはエントロピーの増大のこととも言われました。時間はエントロピーで説明できるとも。しかし時間もエントロピーもよく判らんのに、わからんものをわからんもので説明されたって、判る訳がない。 よく判らんままに、皆さんもっと時間が欲しいとおっしゃる。 皆さんのとっての時間はどれだけの行動・行為・楽しみ・宿題ができたかの基準なのでしょうね。時間が惜しい…とは十分のことをやり遂げたいということです。やったことの量により人々に感覚される時間はそれぞれで違う訳けです。 時間(hour)だけで言えば、1日は24時間と定義されているが、別に1日を100時間と定義しても一向に問題はない。しかし皆さんはそれでは満足しない。1日の行動量をもっと増やしたいのであって1時間を短くしたのでは意味がない。 嘗ては時間は地球の自転時間が基準でした。ところが地球の自転は季節により異なることが判って1年間の平均公転周期を基準としました。ところが1年間の公転周期も年数が経つと微妙に変わってくる。地球は気まぐれなのです。そこでうるう年とそれ以外にもうるう秒が必要なのだそうです。その微妙な変化を読むのが基準時計。今はアンモニア分子による原子時計だそうですが、2005年に東大で精度が高くて測定が短時間でできることが実証されたセシウムによる光格子時計が基準時計に変わる可能性が大きいそうだ。 しかし、時間の測定精度と日常生活とは関係はなさそう。実質の時間は変わるわけではない。どれだけのことが達成できたか、日常生活ではそれが重要ですね。時間も必要だが、行為の能率も重要でしょうね。改善される前のお茶っ人は立ち上げておいて立ち上がるまでにトイレに行ったり、新聞を読んだり。能率を上げれば時間が充実する。 何に充実感を持てるかは人により相違する。家内は1日中おさんどんに追われればむなしく、座り込んで新聞やお気に入りの本を読む時間で充実感が得られるようだ。 私は時間を忘れさせてくれるものがあれば充実感を感じるが、何が時間を忘れさせてくれるかは私にもよく判っていない。単に生活に必要であるというだけの理由でやるもや暇つぶしでやるものはむなしい。 人により時間の長さは異なりますね。いつも時間が不足してバタバタ動き回っている人と中々時間が過ぎてくれないといつも退屈している人と。人間と庭に鎖で繋がれて欠伸をしている犬と。 象の寿命とねずみの寿命はそれぞれほぼ70年と3年位(正確な値は忘れた)だそうだが、一生の心拍数は両者ほぼ同じとか。それぞれの体内時計の速度が違うのかも。 時間が欲しい人に朗報。来年の1月1日朝の8時59分から9時の間は61秒あるそうだ。うるう秒というのだそうだ。有効に使ってほしいものです。ただし儲かった‥と認識は先ずできないでしょうね。電波時計と普通の時計と並べて較べていれば、電波による自国修正間隔以上の時間が経てば1秒差が出るはずです。 日数が1日多い年はうるう年と言い、2月29日をうる日とは呼ばないのに、余分の1秒をうるう秒と呼ぶのは変ですね。名付け方の思想が違っています。 時間とは何だ? 判らないですね。 |