白人の理屈なら
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で…その下に黄色人や黒人でしょう
人間に躾けられて、お手・お預け・お座り・止まれ・伏せ…なんて一足挙動すべて支配されるなんて。気に入った彼氏や彼女を追い掛けることも出来ず、散歩もひも付きで、行きたい方向にも行かせて貰えない。走り回りたいのに歩くことしか許されない。 中でも盲導犬ってストレスが溜まるでしょうね。人間の道具そのものです。食肉になる方がまだいいように思います。事前も恐怖はないし、死んでしまえばストレスも溜まらない。 元祖の狼は群れで互いに協力して獲物を捕って生き延びていきます。勿論飢えたり大型動物の餌食になることもあるでしょう。しかし、奔放に生きることは人間社会にいるよりは幸せでは? 家族と一緒に助け合って生きていく喜びも知っていた筈です。今のように不妊手術を受けたり、生まれた子供とは無理矢理生き別れにされたりすることはない。 人間に可愛がってもらうよりは親に可愛がって貰う方が幸せであることは間違いない…と思いますね。 人間社会で生きていくためには躾けが必要…とのことですが、人間社会から離してもらって自然に帰った方が当然に幸せ。中には自然の中では生きていけなくなった犬もいるようですが、人間のために肉体的・精神的に片輪にされてしまった不幸な犬達です。その方が人間にとっては可愛いかったり都合がよかったり…、犬には何のメリットもありません。羊を纏めることが上手に出来たり、人が追い出したキツネや兎を追い掛けるのが上手だったり、格好が可愛かったり、人なつっこかったりする犬が選ばれて生き残り、それらの下手な、各種の能力がバランスの取れた本来の自然犬は間引かれてしまった訳です。片輪のみが生き残っています。 なまじっか人間社会用に躾けられるよりは処分して貰った方がいいのではないかしら。人間ならこれは殺されそう…と予知できて恐怖に苛まれるでしょうが、動物たちはそのような予知はできないでしょうから恐怖もないでしょう。 猫は人間にさほど阿ることなく暮らしているようで、家の中での排便以外は犬ほどにはきつく躾けられておらず、まあまあ。 これは私の勝手な思い入れ? ドイツでは動物実験反対運動が盛んですが(もう世界的なもになっている?)、実験動物になることは動物にとって不幸だ…というのも勝手に擬人化した思い入れではないかしら。 生命への尊厳の問題? それなら食用の牛・豚・鶏は?魚は? 虫は? 蚤や虱は? 人間と鯨やイルカと犬にのみ命の尊厳がある? 人間の生存に必要な場合は生命を絶っても許される? その根拠は? 動物実験は人間の命を守るために必要ではないのかしらん。 赦しを求めて供養すればいいのなら、実験動物も供養すればいい。我々の会社では毎年年末に神主さんを呼んで実験動物犬供養をやっていました。手術に使う針の供養はやりませんでしたが…。 犬にも生き残る権利はあるでしょうから、彼らを片輪にしてしまった人間は謝罪しながら哀れな犬たちの世話は続けざるを得ないでしょうね。元に戻すための努力はやるべきかどうか…。 この日記には反論が多そうですね。楽しみにして待っています。 |