おはようございます。
仰せの通り、宗教は生きている人の為にあるものだと思います。
生老病死、の四苦を生きて行く為の教えだと思います。
中には死すら問題にして居られない方も居られます。
日記がコッチさん、のお眼にとまり、わが意を得たり
と思いました。ありがとうございます。
私は、葬儀さえ生きている人のために或ると思っています。
3月16日のkata0133日記においても少しコメントしましたが、ここでもう少し詳細意見をアップします。 http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 ![]() 最近は死後は散骨にしてほしい…とか、樹木葬にして欲しい…と云う人が増えているようです。しかし、一方では折角地面に埋まっているのに、北鮮や東南アジアで遺骨を掘り出して日本に持って帰ろう…とする人もいます。単に持って帰ることが目的ではなくお祈りをして魂を鎮めることも目的でしょうが、そうであればわざわざ掘り返さなくても、僧侶をそこに連れて行って祈ってもらえばそれで済む筈ですが、遺骨や遺体を自分の近くに置くことに執着があるようです。 死ねば全ては無になるのであり、生まれる前に戻るだけでしかない…。自分の遺体の行方には関心がない私には理解しがたいものがあります。本人の問題よりも遺族の気持かもしれませんが。 ただkata0133さんに教えて貰った、自分に近かった人の遺骨や遺体が見つからない場合への菅弘之氏のような理屈の慰めが出てくるのが滑稽で面白いですが、これで遺族は慰められるのでしょうかね。 別に文句を付ける筋合いのものではありませんが、色んな人がいるものだ…と感心するだけです。 宗教って生きているために有用なものかもしれませんが、死後は格別の役には立たないのではなかろうか…と考える私には慰める方も慰められる方(もしこの理屈で慰められるなら)もその考え方が判りにくいです。 . |