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2016年04月23日(土) 

 

 

>太平洋戦争で日本への原爆投下を承認したアメリカのトルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんは・・・・・みずからも2012年に初めて広島と長崎を訪れたことに触れ、「被爆者が求めたのは謝罪ではなく、原爆が2度と使われないよう体験を語り継ぐことだった」と述べました。そして、「オバマ大統領も犠牲者を追悼するために広島を訪問すべきだ。被爆者と面会し、話を聞くことが重要だ」と強調しました。
>アメリカ国内では、原爆投下について戦争を早期に終結させたとして正当化する意見も根強い一方、オバマ大統領に広島訪問を促す声も増えていて、オバマ大統領はこうした世論も見極めながら判断する方針です。

 

犯人探し・捕り物帳が大好きだ。これらの内容は全て過去のこと。覆水盆に返らず。

我々には、未来への展望が大切である。

原爆投下は、日本の指導者に一億総玉砕を思いとどまらせてくれた。それで、私は命拾いをした。感謝に耐えない。だが、トルーマンの決断に対する感謝祭はない。悪意があれば謝罪しなくてはならない。そうでなければ、謝罪の必要はない。

過去の時点における、未来に対する展望の内容がどのようなものであったかを詳しく検討する必要がある。その展望が、我々の幸福度を決めることになる。我々は自分たちの生活を幸福に見放された浪花節にしてはならない。

意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制が無く、日本人には意思がない。だから、善意の力を高く評価することもない。それで、残酷物語も拡大する。我々は、個人の意思に無関心な陋習を捨てなくてはならない。

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、意思に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

 

 

 

 


閲覧数585 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/04/23 13:14
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