>太平洋戦争で日本への原爆投下を承認したアメリカのトルーマン大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんは・・・・・みずからも2012年に初めて広島と長崎を訪れたことに触れ、「被爆者が求めたのは謝罪ではなく、原爆が2度と使われないよう体験を語り継ぐことだった」と述べました。そして、「オバマ大統領も犠牲者を追悼するために広島を訪問すべきだ。被爆者と面会し、話を聞くことが重要だ」と強調しました。
犯人探し・捕り物帳が大好きだ。これらの内容は全て過去のこと。覆水盆に返らず。 我々には、未来への展望が大切である。 原爆投下は、日本の指導者に一億総玉砕を思いとどまらせてくれた。それで、私は命拾いをした。感謝に耐えない。だが、トルーマンの決断に対する感謝祭はない。悪意があれば謝罪しなくてはならない。そうでなければ、謝罪の必要はない。 過去の時点における、未来に対する展望の内容がどのようなものであったかを詳しく検討する必要がある。その展望が、我々の幸福度を決めることになる。我々は自分たちの生活を幸福に見放された浪花節にしてはならない。 意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制が無く、日本人には意思がない。だから、善意の力を高く評価することもない。それで、残酷物語も拡大する。我々は、個人の意思に無関心な陋習を捨てなくてはならない。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、意思に関する下のような事柄が記されています。
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