>ご存じのように黒澤明の映画ではそれぞれ個性豊かな7人の侍が見事な連係プレーで野武士を撃退するが、これこそシステムの原型ではないか、と思ったのである。まず野武士の襲撃から村を守る、という目的が設定される。仕事を請け負ったリーダ格の勘兵衛は、目的を達成するには最低限7人の侍と農民の武装が必要であると考える。これは一種の設計である。7人の侍をリクルートするプロセスも実に興味深いが、目的達成に必要な要素技術を取り揃えるシステム構築の考え方と似通っている。
同感です。目的達成のためには適材適所の配置が必要ですね。
同感です。世の中は過不足なく成り立っている。システム化できれば、能率が良くなる。
同感です。例えば、静岡空港は東京と大阪のほぼ中間点にあり、東海道新幹線の真上にある。しかし、新幹線と空港を結ぶ連絡口が無いので。東京と大阪の乗客は、東海道新幹線を利用して直接空港に到着することはできない。
日本人には世界観がない。だから、グローバルな・ユニバーサルな視点に欠けている。新しい世界を作るための適切な部品調達ができない。部品は依然バラバラなままである。
>携帯電話、手術ロボット、半導体製造装置、医療機器、モーションキャプチュアなど日本が海外のシェアを失ってしまった製品群も、部品だけは日本製が多い。しかし部品の価値が全体の価格に占める割合は急速に減ってきているから、日本の企業の利益は薄くなる一方である。
同感です。これを器用貧乏というのですかな。必要な伝達ができない。だから、’自分さえ良ければ’ となる。
大同 (非現実) があれば、小異 (現実) を捨てることも可能である。しかしながら、日本人には大同がない。非現実の内容は、嘘と考えられている。だから、個性的な人間同士をつなぐことができない。
目先・手先の事柄に精神を打ち込むのですね。 日本語は、実況放送・現状報告の内容を語るための言葉です。だから、非現実の内容である構想は語れない。
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