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2025年10月12日(日) 

 

>SPA!   >「学部・修士を一貫教育に」文科省の新方針に東大生が苦言。「これで研究者が増えるとは思えない」と断言するワケ   >日刊SPA!の意見・   >5時間・   

> ついに、ノーベル賞が決まりましたね!   

>日本からも京都大学の北川進特別教授や大阪大学の坂口志文徳仁教授らが選ばれ、世界中からの祝福が贈られました。   

> こういった方々を、ついつい我々は「○○博士(ハカセ)」と読んでしまいます。   

>学術的に物知りな人を指すこの言葉。   

>小学校でのあだ名が「物知りハカセ」だった方も、実はいらっしゃるのでは。   

 

そうですね。クイズ王ですね。   

 

> しかし、「博士(ハクシ)」と読むと意味は変わります。   

> 学術的な博士号を指す正式名称であり、取得するには大学院での博士論文審査を通過するレベルの研究論文をしたためなくてはいけません。    

 

そうですね。   

 

◆博士になるには最短で9年必要    

> これが「言うは易く行うは難し」の典型であり、「打席に立てば合格」や「バットを振れば合格」と言われる学士号、修士号に対して、博士号は「ヒットを打てれば合格」と喩えられるほど。    

> 博士号を取るためには、大学院博士課程に進学するルートが一般的ですが、仮に博士までストレートで走り抜けたとしても学部(4年)+修士課程(2年)+博士課程(3年)で9年はかかる計算に。    

> もちろん、研究が進まなければもっと年数はかさむ。   

>18歳で入学した青年も、出るころにはよくてアラサーです。   

> 残念ながら、日本の研究者志望数は、多いとは言えません。

> 少なくとも、人口100万人あたりの修士号・博士号取得者数はイギリスやドイツ、アメリカ、韓国の半分程度かそれ以下でしかない。   

 

一般の日本人は知的能力が劣っているから学位の必要もない。   

 

> 高等教育までは受けても、大学院進学者はほとんどいない国なんです。   

>やはり、国も焦ってきているのではないでしょうか。    

 

そうですね。   

 

> 先日、文部科学省から「学部課程と修士課程を一貫教育として5年で修了とする」構想が発表されました。   

> 時間がかからなくなった分、なんだか研究者になりやすいルートが開拓された感じがします。    

 

日本人には教養課程が身につかないからでしょうね。  

アメリカでは、医育機関は大学院ですから、学部課程 (4年) と専門課程 (4年) で8年かかるところを、我が国では教養課程 (2年) と専門課程 (4年) の6年で切り上げていますね。日本人には教養課程が遊びになるから省くのでしょうね。      

 

> ですが、実際に研究者を目指す学生たちは渋い顔でこの改革を見ていました。   

>「学部修士一貫教育で研究者は増えるのか?」を考えます。   

 

学士はクイズ王ですから研究者は増えませんね。   

 

>◆インフレした「高等教育」   

> まず、文系と理系では「科学」へのアプローチが大きく異なります。   

 

そうですね。どちらも哲学ですね。自己の見解を明らかにする仕事ですね。      

 

> 一般に難しい、専門的と見られがちな理系ですが、その偏見はある種正しい。    

> 大学院修士・博士課程進学を検討中のOさん(理系・学部4年生・修士課程進学予定)やSさん(理系・修士課程在学)は口を揃えて「時間的な余裕がない」と断言します。    

>「研究も手当たり次第にやっていいわけではなく、“大きな流れ”のようなものが、先人たちの努力によって形成されています。   

> ここから次につながるような可能性を辿っていく試みが求められているわけですから、“研究”のためには、従来の研究を一通りさらっておかなくてはいけません。    

 

そうですね。   

 

> そして、学部4年間では、ほとんどその“大きな流れ”の把握だけで終わらざるを得ない。   

>積み重ねが多すぎるからです」(Sさん談)   

>「現代までの積み重ねの把握が不可欠でありながら、量が多すぎるのが問題です。    

 

学問に王道なしですね。There is no royal road to learning.      

 

> 学部4年生の秋、すなわち卒業の半年前になってようやく授業に空きが出始めるかどうか。    

> 4年生の春までは必修でガチガチな学部も理系では珍しくない。   

>週20コマ~25コマが普通です。   

> もちろんそれぞれの課題や復習の手間もあるわけで、これ以上は物理的に時間が足りなくなります」(Oさん談)   

> さらに、「流れ」は今もなお増大し続けています。   

>新たな研究結果が出れば、その分教科書は厚みを増していく。   

> かつて自分と同じ理系大学院生だったという父が使っていたノートを見返したOさんは「こんな簡単な、学部3年生が学ぶような内容を、30~40年前は大学院でやっていたのか」と愕然としたそう。   

 

そうですね。学問は日進月歩ですからね。   

 

> ただ、理系の大多数はほぼ大学院進学を考えます。   

> 現在修士課程在学中のHさんは、その理由を「やることが多すぎて、学部では研究まで行きつけない。   

> 修士課程・博士課程になって、ようやく自分の”研究”にチャレンジできる」と語ります。   

>能力さえあれば、1年短縮の恩恵は間違いなく大きいのでしょう。   

 

学問はそれで終わるものではありませんからね。どこまでも続く。学士・修士・博士は一応の区切りですね。それからが本格的な研究ですね。       

 

>◆文系の修士号にはどれだけの価値があるのか   

> 一方で、文系はどうでしょうか。   

> 現在博士課程在学中のTさんは「可能ではあるだろうが、それが修士課程進学の後押しになるとは考えにくい」と述べます。    

>「自然科学に対して、人文科学はある程度アプローチの切り口を変えることで対応できますし、研究にタッチする難易度は、理系よりも低いでしょう。   

>簡単か否かはともかく、不可能ではないはずです。   

> ただ、だからと言って修士号を積極的にとるかどうかは別の話。   

 

アメリカでは修士号がないと学校の先生が長く務まりませんね。先生は働きながらの勉強することが必要です。   

 

> 就活市場における理系の修士号と文系の修士号の価値が、事実上異なるからです。    

> 出口がなければ入るわけありません。   

>個人的に、文理問わず修士号を持つなら、かなりの『読解力』が保証されている点で価値があるはずなのですが……」(Tさん談)   

> やはり、ネックはキャリア事情。   

>理系修士・理系博士に比べて、文系修士・文系博士が敬遠される理由はそこでしょう。   

>研究者を目指しても全員がなれるわけではない。   

 

博士号があれば研究者ですね。プロの資格保有者ですね。教職に就くか就かないかは関係がありませんね。   

 

> 大学からは助成金などが引かれ続け、その影響からか学費を値上げする大学も出てきた。   

> 現在修士課程に通うUさんは「欧米の博士課程学生には給料が支払われるというのに、日本の大学生はアルバイトをしながら研究成果も出さないといけない。    

>これでは、研究職から足が遠のくのも当たり前」と指摘します。   

 

そうですね。頭脳流出が必要ですね。文化の程度の違いによるものですね。   

 

>◆落ちる「修士号」の価値   

>「今回の施策で進学者が爆増することはないでしょう。   

>本来は6年間で教育したことを5年間に短縮するのですから、『質を落としてでも、数を確保する』方向に舵を切ったように見えます。    

 

我が国の医師育成に教養課程の修養年限を (4年から2年に) 減らしているようなものですね。   

 

> それがいいかどうか、判断はつきかねますが、『日本の修士号は甘い』とか言われるようになったら本末転倒ですよね。   

 

そうですね。日本民族は最初から教養にはなじみが薄いですからね。   

 

> 正直、目的と手段が乖離している印象を受けます。   

>大学院進学予定者の足を止める一番の要因は、やっぱり『金』です。   

> これに尽きる。   

>運営交付金も下がり、DC(日本学術振興会が主催する奨学金や研究費の支給制度)も通るのは1割かそこら。   

> どうにか死ぬ思いで修士・博士を乗り切っても今度は就職で詰まってしまう。    

 

日本人には ‘各人に哲学は必要である’ ということが理解できない。Everyone needs a philosophy.     

 

> この状態で『大学院に行って!』なんて、無理ですよ。   

 

>もっと修士号・博士号取得者のキャリアパスを整備してから言ってほしいですね」(Uさん談)

 

そうですね。キャリアパスは英米にある。猿真似は容易ではない。      

 

>◆地獄の沙汰も金次第

> かつての中国での官僚登用試験「科挙」では、「本の中から黄金の家が飛び出てくる」とまで歌に詠まれたそう。

> 当時は実際にそれほどの見返りがあり、頑張りが報われる社会だったのかもしれません。   

> 少なくとも、人生をかけたチャレンジャーに対する「黄金」が、絵に描いた餅のままで終わってしまうような国にはなってほしくないものです。

 

そうですね。それは我々の努力次第でしょうね。    

 

><文/布施川天馬>

>【布施川天馬】   

>1997年生まれ。   

>世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。   

>著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。   

>株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。   

>MENSA会員。   

>(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)   

 

日本人には世界観がない。日本語文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文にすることができない。過去・現在・未来とか前世・現世・来世とかいう非現実の独立した世界の内容を文の内容として表すことができない。   

政治には未来の先取りが必要である。政治指導者は未来の世界の内容を国民に提示して理解を得て、国民を導く必要がある。わが国の政治家にはそれがないから指導力がない。現実にとどまっているから、話が小さくなる。その日暮らしになる。 我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。   

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。それで国のかじ取りが危うくなっている。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数7 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/10/12 23:58
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