>前川氏は、記者会見で、出会い系バーへの出入りについて質問され、出入りを認めた上で「女性の貧困問題の調査のためだった。」と説明したが、菅義偉官房長官は、その翌日の5月26日の定例会見で、前川氏の記者会見での発言に関して、加計学園の獣医学部新設について、「首相の意向」「行政が歪められたこと」を強く否定した上、記者の質問に答えて、 >>女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りし、かつ、女性に小遣いまで与えたということだが、そこはさすがに強い違和感を覚えたし、多くの方もそうではないか。 >>常識的に言って、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし小遣いを渡すことは到底考えられない。 >などと発言した。 >読売記事と官房長官発言を受けて、前川氏に対しては、教育行政のトップでありながら、出会い系バーに出入りし、援助交際の相手になっていたことへの批判が高まり、加計学園問題に関する前川氏の記者会見での発言の影響力を大きく減殺する効果を生じさせた。
日本人にとって、法律は為政者の単なる都合により定められるものなのですかね。法以前に、関係者の人間としての純粋か、不純かに関心が集まるのですかね。 前川氏は、日本人の好きな純粋人ではなさそうですね。出会い系バーなどに出入りして純粋行動をしているのでもないようですね。それで、加計学園に関する前川氏の発言の影響力が大きく減殺されたのでしょう。 人間に意思があれば、罪もある。だが、日本人には意思が無く、優柔不断・意志薄弱に見える。意思と理解に基づく人間関係では仕事がうまくゆきませんので、その代わりとして、恣意 (私意・我がまま・身勝手) と忖度 (推測) の人間関係を発達させています。恣意は文章内容にはならず、意味もなければ、矛盾さえも存在しません。忖度は自分勝手な解釈なので、法に基づく ‘責任 (応答義務)’ 関係を明らかにすることは困難です。 官房長官の菅氏は、前川氏が不純人間・不純行為であること証明にのみ、熱中しているのでしょうね。罪を知らない人々は我が民族の伝統による ‘純粋人・純粋行動’ という基本的な考え方 (品定め) により、違和感を持つかどうかを人々に問うことになります。法に基づく判断はどうなっているのでしょうかね。法より前に品定めか。個人攻撃の方向へと今も昔も横道にそれて応戦する。かくして、法の問題から遠のくのでしょうか。 法は掟で、為政者の都合ということか。それならば、もつと貴いものがあるはずだ。それを皆で話し合おう。それで、品定めが始まる。 貴いものが見つかれば、それを基準として ‘有るものは無いもの’ となる。有罪は無罪となる。これが世の中の ‘責任解除の手段’ である。
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の <日本教について> には、以下のような日本人の基本的な考え方の例が紹介されています。
当時の日本には共産党を中心とする広範な反天皇グループがありました。そしてこの人たちのとった行動が、また非常に面白いのです。彼らは「天皇は純粋でない」「天皇の行為は純粋でない」ということを証明することのみ熱中しました。そして「朕 (ちん) ハタラフククッテイル、汝臣民飢エテ死ネ」といったプラカードを掲げて宮城に乱入し、厨房の冷蔵庫を調べてその内容を公表するという喜劇 (私の創作ではありません) まで演じ、また、そのグループのある雑誌は、天皇に隠し子がいるという捏造 (ねつぞう) 記事を執拗に流したりしました。、、、、、こう考えてきますと「純粋人」の「純粋行動」という考え方は、、、、、、変則的・一時的な考えではなくて、実に、全日本人を律している基本的な考え方であることが、おわかりになると思います。、、、、、その前に法がありうるか。法に基づく「責任=応答の義務」がありうるかという問題です。 (引用終り)
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