>J-CASTニュース >国民民主・古川元久代表代行、高市体制は「表紙が変わっただけ」 これで「解党的出直しが出来るのか」 >J-CASTニュースによるストーリー・ >11時間 >公明党が自民党との連立を離脱することになり、自民党にとって国民民主党との協力関係に注目が集まっている。 >国民民主の古川元久代表代行は2025年10月10日、自身のブログで自民党の新体制について「表紙を変えただけ」と厳しい見方を書いている。
そうですね。人心を一新することは 気分・雰囲気・感情を変えることですね。日本人の無哲学・能天気が治ることではないですね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>自民党の歴史は「表紙は替われども結局、中身は変わらなかった」
日本人は表紙を変えることしかできなせんからね。それ以上のことをやろうとすると滅茶苦茶になる。これは実に恐ろしいことです。盲目の判断による結果の恐ろしさです。
>「昭和の男社会」の典型のような自民党で女性が総裁に選ばれたことは画期的だとして高市新総裁に祝意と敬意を表しているが、一方で、「表紙は替われども結局、中身は変わらなかった」のもまた自民党のこれまでの歴史だとし、今回も党人事を見る限り、高市氏を応援した麻生派と旧茂木派・旧安倍派の人たちを重用する、従来の自民党のやり方と変わらない。
そうですね。これが精一杯のところでしょうね。だが日本人は変わらない。
>これで「解党的出直しが出来るのか」と厳しい。
解党的出直しはラッキョウの皮むきと同じですね。中実がない。
>大いに疑問ありとしている。
そうですね。 日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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