>共同通信 >【独自】開戦前「必敗」予測言及へ石破首相、戦後80年見解で >共同通信によるストーリー・ >7時間 > 石破茂首相が戦後80年に合わせて表明する先の大戦を巡る見解で、1941年の日米開戦前、若手官僚ら精鋭を集めた「総力戦研究所」が「日本必敗」と予測したにもかかわらず、戦争に突き進んだ経緯に言及することが分かった。
日本人には未来に関する考えがない。だから、物事はなってみなければわからないということでしょう。
>見解は10日に発表予定で、開戦を避けられなかった原因に重点を置く。
原因が突き止められたら、たいしたものですね。
>政府関係者が7日、明らかにした。 > 総力戦研究所は40年、首相直属機関として設置され、41年8月に机上演習の結果「日本必敗」の予測を導き出した。
これは論理の帰結ですね。
>作家の猪瀬直樹氏(現・日本維新の会参院議員)が著書「昭和16年夏の敗戦」で取り上げ、石破首相の愛読書として知られる。 > 首相は今年3月の参院予算委員会で、質問に立った猪瀬氏に著書の感想を尋ねられ「総力戦研究所は、いかなる理由があっても戦争を始めてはならないと結論付けたが、顧みられず悲惨な道をたどった」と強調した。
そうですね。日本人には意思がない。だから意思決定 (理性判断) の必要な時にも恣意決定 (盲目の判断) をする。だから危険が避けられない。’わかっちゃいるけどやめられない’ ということです。 日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから日本語は写生画の言語である。 非現実の内容は時制 (tense) のある構文により表現される。日本語文法に時制がないから日本人には非現実の内容を文にして表現できない。 日本人の脳裏は非現実 (考え・哲学) を内容とする文は成り立たず、ばらばらの単語で占められる。この状態を言葉で言い表すと歌詠みになる。歌詠みの内容は気分・雰囲気・感情に関するものであるが、文にならないから意味がない。ただ内容をにおわせる。’いかにも〇〇らしい’ と言って日本人は喜ぶ。だが言語明瞭・意味不明であることは残念である。
> 8月に首相と会食した小泉純一郎元首相からも、猪瀬氏の著作を参考に見解を作成すべきだとの助言を受け「読んで非常に感銘を受けた」と語っていた。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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