>東スポWEB >三田村邦彦 結局派閥の自民党にため息「自分ファーストで国民は二の次」 >東スポWEBによるストーリー・ >5時間 >俳優の三田村邦彦が7日までにX(旧ツイッター)を更新。 >自民党に残る“派閥政治”に苦言を呈した。
そうですね。わが国は序列社会の国ですからね。序列の系列を区別をする時は派閥になりますね。
>4日に行われた自民党の総裁選は、決選投票で高市早苗氏が小泉進次郎氏を破った。 >しかし、投票の舞台裏では、党内で唯一派閥を持つ麻生太郎氏の〝鶴のひと声〟があったとされる。 >これに三田村は「まだまだ、自民党は派閥の世界 先輩の意見にハイハイ。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。議員は序列に従ってハイハイ言うより外に手がないですね。
>自分ファーストで国民は二の次」と疑問視。
政治家には政治哲学がないのだから、自己利益優先になりますね。国民のことは考えようもない。
>その上で「肩書きが欲しいのが見え見えですね。
そうですね。序列社会では肩書が大切ですね。肩書に従って自己利益は増大しますから。
ため息だぁ」と嘆いている。
昔からそうでしたね。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。ちゅうしょう機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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