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2017年10月25日(水) 

 

 

(略)

>昨今の人間は、自分が何をしたいのかが解らない。したいことを見つけさせるのが教育の目的なのに、その根本を教育は見落としてきた。

 

確かに、意思の自由がありませんね。恣意の自由は認められませんし。

 

>学問とは決断である。なぜならば、学んだ後の結果は、学ぶ前には、解らないからである。何年もかけて、寝食を忘れて受験勉強をしても合格するとはかぎらない。合格しても自分の望む結果が得られるとはかぎらない。大学に入学できたとしても挫折することは往々にある。また、大学を出たからといって望む仕事に就けるという保障は何処にもない。況や成功するか、しないかは、大学を出たと言うだけでは解らない。

 

そうですね。決断ですね。しかし、大学は、考える人を作るところであって、処世術を授けるところではないでしょう。望む仕事に就ける保障にはならないですね。

 

>海の物とも山の物とも解らない。先に何の保障もない事に一生を賭けるのが学問である。故に、学は志すものである。

 

学問が人生を保障することはないでしょう。考えることのできる人は、暗庽の人よりも人生が有意義であると私は思いますけれども。

 

>ところが現代は、何の志も持てないうちにいつの間にか、既定の路線にのせられて勉強をさせられている。だから、何のために学んでいるのか、その意味すらわからない。

 

そうですね。いつのまにか受験戦争の現状に送り込まれていますね。序列昇進の義務が半ば強制的に与えられていますね。序列社会に生きる人間の宿命の様なものでしょうか。

 

>だから、いくら勉強しても自分が何をしたいのか解らない。解らないと言うより解らなくしているのである。

 

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。だから、自分が何をしたいかわかりません。

日本人には世界観が無い。過去・現在・未来の世界を脳裏に展開するには、時制が必要です。日本語には時制がない。だから、自分の望む世界を想定できません。この国には何でもあるが、ただ、夢と希望だけが無いということになります。

 

>学は、志すのである。

 

学は、考える人になる事ですね。 日本人にとって、至難の業ですね。現在の我が国は、人手不足に陥っています。だがしかし、頭脳不足の話は聞いたことがありません。考えを要求する者もいなければ、される者もいません。我が国は、考えというものの未熟な社会です。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。日本人の精神活動は、言動により明らかにすることはできません。直接、人の心から心へと伝えられるものです。以心伝心・不立文字と言われます。言語に依存しない日本人の精神活動は、国際間の言語障壁を問題にしません。物に込められた日本人の心は製品の品質を高め、 直接外国人にも伝えられて高い評価を得ております。開国初期の猿まねの時代を乗り越えて、我が国の偽物・代用品は付加価値を高めて世界の一流品にまで成長しました。日本は、技術立国を足掛かりとして、世界の経済大国にまで成長しました。来日した研修生も、我が国民の心を習得して経済的な発展を手にすることができれば、我が国独自の世界貢献の道が開けることになるでしょう。実学 (技術) も学問のうちに入るのでしょうね。

 

 

 

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閲覧数525 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/10/25 23:31
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