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2017年12月02日(土) 

 

>【あらすじ】少年の名は、コペルくん。本名は本田潤一。中学二年生、十五歳。思春期まっただなか。コペル君は、二年前にお父さんを亡くし、旧市内の邸宅から郊外の小ぢんまりした家に引っ越します。そこには、お母さんの弟である叔父さんがちょくちょく来てくれます。二人は大の仲良しで、コペル君というあだ名をつけたのも叔父さんです。さて、コペル君はなぜコペル君と呼ばれるようになったのでしょう…?>●コペル君が発する問いは、いつも根源的である。>お父さんを亡くし、少年時代が終わるとともに、物事が今までと違って見える時期。>コペルくんの真摯な問いに、コペル君の叔父さんは全力で応える。>自分が知っていること、経験してきたことのすべてを賭けて。

 

大切な叔父さんですね。

 

>コペル君は、なんて幸せなんだろう。>大人になっても大部分ははっきりとは答えられない問いの答えを、丸ごと受け止めて応えてくれる大人が近くにいるのだから。

 

そうですね。あまり見かけるタイプの人ではありませんね。

 

>●常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ>コペル君は、世の中や人生について本気で考えるようになった。>叔父さんは、コペル君のお父さんからコペル君が立派な人間になるように頼まれていたので、真面目に応えようと思っている。>叔父さんがまず言ったのは、「自分の頭で考える」ということだった。

 

そうですね。自分の頭で考えることが大切ですね。暗記ものの勉強で時を浪費するのはよくないですね。  

 

>人間としてこの世に生きていることはどういう意味があることなのか、立派な先人たちの智慧は残っている。 それらの書物を読み、立派な人々の思想を学ばなくてはならない。>しかし、それにしても最後の鍵は、――コペル君、やっぱり君なのだ。

 

そうですね。最後の鍵は、コぺル君自身の問題ですね。

 

>君自身のほかにはないのだ。君自身が生きてい見て、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することが出来るのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。>だから、こういう事についてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。>君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えて見るのだ。

 

そうですね。経験哲学が必要ですね。

 

>そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。>それが、本当の君の思想というものだ。これは、むずかしい言葉でいいかえると、常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、ということなんだが、このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、みんな嘘になってしまうんだ。>(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」岩波文庫P53~54)

 

ごまかして得になる人はいない。ごまかされて損になる人もいない。それが人生哲学です。

 

>世間の眼よりも何よりも、自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に魂で知ること。>いつでも、胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはならない。>いくら立派な思想や哲学であっても、自分の中で咀嚼し、体験に照らし合わせて、心身の奥底から湧き上って来るものでなくては、意味がないのだ!

 

そうですね。自己の哲学が大切ですね。受け売りの論客ばかりでは実りが無い。不毛の議論になります。

 

>●生産する人と消費する人~生み出す働きこそ人間を人間たらしめる>コペル君のクラスに、皆にからわれいてる浦川君という子がいた。>浦川君が学校を3日ほど休んだので、コペル君はお見舞いに行く。>コペル君が見たものは、浦川君が家の商売の手伝いで、油揚げを器用に揚げている姿だった。>コペル君は、感心する。運動をやらせても、勉強をやらせても、学校ではからっきしの浦川君が、器用に箸を使って油揚げを揚げるのだから。 

 

浦川君は、勤勉ですね。’挫けちゃならない人生’ が、もう彼には始まっていたのですね。

 

>その様子を叔父さんに聞かせると、叔父さんは、ノートに次のように答えた。>考えて見たまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。(中略)>自分が消費するものよりも、もっと多くのものを生産して世の中に送り出している人と、何も生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、>どっちが大切な人間か、――こう尋ねてみたら、それは問題にならないじゃあないか。>生み出してくれる人がなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することは出来やしない。>生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。>これは、何も、食物とか衣服とかいう品物ばかりのことではない。学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受取る人々より、はるかに肝心な人なんだ。>だから、君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、今後、決して見落とさないようにしてゆきたまえ。

>(吉野源三郎「君たちはどう生きるか」岩波文庫P138~140)

 

人間そのものの価値は誰も同じでしょうが、生産する人は一般的に尊敬されますね。

 

>コペル君と浦川君との違い。>それは、「生産する人」と「消費する人」の違いである。>確かに浦川君の家に比べ、コペル君は裕福である。>しかし、浦川君は、すでに生産する側の人間である。>コペル君は、まだ何も生み出していない。まだ消費する専門の人間である。

 

他人に影響力を与える人には、注目する必要がありますね。

 

>いくら自尊心がある人でも、貧乏な暮らしをしていたら、引け目を感じるというのは免れがたい人情である。>人間であるからには、たとえ貧しくとも自分をつまらない人間と考えたりしないように、また、豊かな暮らしをしていても、自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかり目をつけて生きてゆかねばならない。>それでも、恵まれた境遇にいるコペルくんは、貧しくとも生産している人々への慎みを忘れてはいけない、と叔父さんは言う。

 

人には自重が大切ですね。

 

>●人間だけが感じる人間だけの苦痛とは?~過ちを認めること >コペル君は、友人の北見君が上級生から殴られた時、同じく友人の浦川君や水谷君のように、かばうこともできず、ただ傍観してしまう。>なぜ、自分は浦川君たちのように、北見君の前に出ていかなかったのか。>出ていこうと思ったけれど、勇気がなくて出ていけなかったのだ。

 

‘彼を知り己をしれば、百戦危からず’ ですね。 ‘飛んで火にいる夏の虫’ にはなりたくない。

 

>コペル君は、ひどく悔いる。病気になるほど悔いる。>言い訳をたくさん考える。しかし、いくらごまかしてみたって、自分が北見君をかばえず、上級生の前に出ていけなかったという事実は消えない。>叔父さんもお母さんも、過ちを犯したからこそ、正しい道が見えると説く。

 

そうですね。正しさが理解できなければ、過ちも見つけられないですね。強者の怒りは抑止力になる。弱者の怒りはごまめの歯ぎしりにおわるのか。力は正義である。Might is right.

 

>これからどのような時代になるのか、その中で己がなすべきことは何か?活力は再生するのか?をまさに大転換の現代においてみんなが模索しているからこそ、この著書を手に取る方が増えているのではないかと思いました。

 

そうですね。同感です。大転換が必要ですね。

 

>実現塾でも、○○年に××戦争が起こったとかそういう試験で問われるような表面的なものはほんとにスルーですが、歴史に貫通している普遍的な社会の構造や人々の意識を掴むことを主眼にしたとたんに、小中学生の目は輝き出し、どんどんこうじゃないか、ああじゃないかと追求し出します。その時の人々の意識に同化して、構造(幹)を掴んでいくのです!>そういう欠乏が本当に高まっている!と感じます。

 

そうですね。暗記ものの勉強は良くないですね。自己表現こそが大切ですね。

 

 

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閲覧数1,267 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/02 02:34
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