>■記憶中心の勉強を続けると思考力が低下する >記憶中心の勉強は、小学校から高校まで通うとして、合計で12年間も続く。>しかも、小学校からという大切な時期である。
そうですね。そのうちの9年間は義務教育ですね。
>これだけ長い期間で記憶中心の勉強をしたら、深く考えない癖が付いて当たり前だ。>これは重要な点で、結果として思考する能力が低下する。
そうですね。暗記の内容は、頭の外にある。これは見ればわかる。考えの内容は、頭の中にある。これは見ることが出来ない。ですから、これら二者は同じにならない。見ることが出来る内容は、本当のこと。見ることが出来ないものは存在しないもので、これは嘘になる。
>現在の学校の傾向も大きな問題だ。>掃除などの活動も含めて、生徒が受け身になるような体制になっている。
そうですね。日本人には、意思が無い。意思は、未来時制の文章内容であり、日本語文法には、時制というものがない。だから、日本人には、意思が無い。能動がなくて、受動がある。国中が受け身になるような体制になっている。
>教師の側からルールを与えられ、その善し悪しに関係なく、とにかく従うことを求められる。
規則 (rule) はあるが、リーズン (reason) が無いのですね。良し悪しとは、リーズナブル、アンリーズナブルの判断 (rational judgment) の結果のことですね。
>進学に必要な内申書という首根っこを押さえられているので、あからさまに反論することもできない。
問答無用の環境ですね。処世術を成功させるのも難しいですね。
>そんな状態が若いうちから何年も続くと、反論などしない人間に変わっていく。>それでは、疑問点を自分で解決する癖や力が身に付かない。
そうですね。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思が無いから方法がない。仕方がないから諦める。座して死を待つのか。
>学校の勉強が出来るのだから、頭が良いのではと勘違いする人が多くいる。>これは大きな間違いだ。>学校の勉強は、正解のある問題が中心で、暗記すれば何とかなる。
現実の内容は一つ、だから、その答えは一通りですね。暗記に適した内容の形態ですね。
>極端な言い方をすれば、頭を使わなくても解ける問題なのだ。
そうですね。’物覚えの良い子供’ を作りますね。
>ところが現実の世界には、正解のない問題が多くあり、正解のある問題よりも格段に難しい。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 矛盾を含まない文章は、全て正しい考えである。だから、正しい考えは一通りではない。それぞれの内容の違いは、個性の違いを示しています。各人の個性を護るためには、個人主義 (individualism) が必要です。
>これを解けることが重要で、頭が良いと評価する。
そうですねえ。アメリカ軍と日本軍の興味ある比較があります。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>面白いのは、正解のある問題の解く訓練を長く続けると、正解のない問題を解く能力が低下する点だ。>疑問を持ったり創造することを押さえるために、頭の回転が悪くなるのが原因だと思われる。
そうでしょうね。頭の固い人になるのですね。
>長期間の学校の勉強で低下するのは、思考力だけではない。>新しいものを創り出すのに必要な創造力とか、壁にぶつかったときに打破する解決能力なども、どんどんと悪くなる。
非現実の内容を現実の世の中で実現すれば、それは創造力を発揮したことになりますね。それから、現実界での有用な工夫する力も無くなりますね。
>バカに向かって前進するわけだ。>暗記中心の勉強は、長くやりすぎないことが大切だ。
そうですね。暗記の専門家にならないことが大切ですね。暗記の専門家は、受け売りの専門家になりますね。我が国のどこにでも見かける評論家ですね。 イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
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