>田原総一朗です。 >僕は、「君が代」にも「日の丸」にもおおいに抵抗感がある。
感情的になりますね。どうにかしたいものですね。
>「太平洋戦争は侵略戦争であり、その侵略のシンボルとして、日の丸・君が代が使われた」と教えられたからだ。
戦時中は、しょっちゅう ‘日の丸・君が代’ が使われていましたね。
>なので僕自身、40歳を過ぎるまでは太平洋戦争は侵略戦争だと思い込んでいた。>だが、40過ぎる頃から太平洋戦争を侵略戦争だと決め付けるのはおかしい、と思い始めた。
歴史は勝者の必要に応じて作るものですからね。常に、そうですね。おかしいのは当然でしょう。
>歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。
そうでしょうね。大人と子供の喧嘩のようなものですからね。先生に歯向かう生徒の様なものか。
>山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。>そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。>負けるに決まっている侵略戦争などする人間はいない。
日本人は、飛んで火に入る夏の虫ですね。
>太平洋戦争は日本は世界で孤立し、戦争せざるをえないとこへ追い込まれたと僕は捉えている。
我が国は、常に受動的ですね。日本人は、意思のない人間ですね。常に、事の成り行きで説明しますね。
>なぜ孤立したのか。 >僕は、大東亜戦争は侵略戦争ではないと思う。
‘窮鼠、猫をかむ’ という話になるのですね。ネズミの命は、助かるのでしょうかね。
‘>しかし、満州事変と日中戦争は侵略戦争だと捉えている。
そうですね。我が国には、前科があるのですね。
>ただし、満州事変は始めてもイギリスやアメリカが支持してくれる、と思い込んでいた。
それが、我が国の指導者の忖度 (推察) ですね。自己に有利な間違った内容の忖度でしたね。ちょうど、’オオカミと七匹の子ヤギたち’ の童話に出てくる子ヤギたちの様なもので、相手の意思に焦点を当てた考察はしていなかったようですね。
>現にイギリスは日本を支持し、アメリカは干渉しなかった。>侵略戦争が良いとは思わないが、いわゆる先進国はイギリスをはじめ例外なくいずれも侵略戦争をたびたび行い、戦争に勝って相手を植民地にしてきた国である。
何事も ‘皆様並み’ と我が国の指導者は考えていたのでしょうね。空気の読み違えですね。
>誤解を恐れずに言えば、勝てば官軍である。
そうですね。力は正義ですね。Might is right. 昔から、そうでしたね。負ければ必ず賊軍になることも、自明の理ですね。
>問題は日中戦争だ。 >日中戦争の発端である盧溝橋事件は中国側が先に撃ったのである。>盧溝橋の現地人は停戦協定を結んだ。>ところが参謀本部が中国をやってしまえ、という事になった。
参謀本部が交戦の続行を決めたのですね。その意思決定をした本部長は誰でしたかね。
>中国を完全に甘くみていたのである。
‘彼を知り、己を知れば、百戦危からず’ ですね。
>そして、イギリスやフランスが日本を支持してくれると思い込んでいたのだ。
国際社会の空気を読んだ日本人の忖度ですね。我が民族は、思い込みが強いですね。
>ところが、その中国の利権を巡ってイギリスと対立関係となった。>イギリス、フランス、そしてアメリカ等が日本と険悪な状態になり、ついに孤立してしまった。
‘和をもって貴しとなす’ の教えは、守られなかったのですね。
>そして大東亜戦争に突入せざる得なくなった。
そうせざるを得ない力が我が国に働いたのですね。
>米・英・蘭、そして中、更にロシアまで敵にして勝てるはずがない。
孤軍奮闘・四面楚歌でしたね。わかっちいるけど、やめられない。、
>はじめから負けるに決まってる戦争に突入してしまったわけだ。
ああして、こうすりゃ、こうなると、分かっていながらこうなった我が国、、、、、。’とんこ節’ のようですね。
>僕は、戦後「君が代」日の丸は当然作りかえられるものだと思っていた。
‘御一新’ というところですか。
>ところが、結局作り変えられることなく60年以上たってしまった。
アイディア不足ですね。新しい国の ‘新しい国歌・国旗’ の提案はなかったようですね。国民は、その気になっていないようですね。
>僕自身にもおおいに責任はあるが、ここまで来ると抵抗感がありながら認めざるを得ないのかなと思う。
新憲法の様なものか。ここまで来ると、認めざるを得ないという気持ちになるのか、ならないのか。国民の意思決定がながながとかかるようですね。
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