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2018年05月23日(水) 

 

>世間では日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦での日本大学の選手が行った悪質なタックルが話題を呼んでいる。>明確な背景は当事者の監督から語られることはないが「試合に出たければ相手の選手を壊してこい。」などの指示があったとの証言も出ている。>この事件は一例に過ぎないが学校教育においてこういった強制圧力は横行している。

 

そうですね。わが国は、序列社会の国ですからね。上意下達の強制圧力があります。

上意の ‘意’ は ‘意思’ のことではなく、’恣意’ (私意・我儘・身勝手) のことです。

意思は、未来時制の文章内容であり、意味もあれば、矛盾があれば指摘もできます。ですから、議論にもなります。

しかし、日本語文法には時制 (tense) というものがありませんので、未来時制もありません。ですから、日本人には、意思 (will) がない。優柔不断・意志薄弱に見えます。

意思のない日本人にも、恣意 (self-will) はあります。ところが、恣意は文章にならず、バラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在します。意味もなければ、矛盾も指摘できません。議論にもなりません。ですから、自分の言動に対する説明責任が取れません。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任の元凶となっています。

 

>そういった点から見えてくるのは日本の学校教育の偏った勝利至上主義だ。

 

そうですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上とみるか、下とみるか’ の世俗的判断ができなければ、日本人の日常生活は成り立たちません。

ですから、人を見損なってはいけない。日本人の礼儀作法は、序列作法になっていて、上下判断が正しくできなければ、礼儀正しい日本人にはなれません。

ですから、日本人の上下判断は、脅迫観念の域にまで達しています。勝利至上主義は、極上の喜びを得るための手段であることがわかります。

 

>部活動にしても学校のテストにしても常に順位がつき優劣がつくことが下位に位置する生徒への強制圧力となり、他の生徒にも下位に落ちてはいけないという強迫観念になっている。

 

そうですね。人々は、常に上下判断にとらわれていますね。だから、’頑張って’ といつも声を掛け合っています。

 

>勝利至上主義が蔓延している現在の教育の場において生徒個人個人が自由に選択するという場は残されていない。

 

そうですね。学校は、我利我利の社会になっていますね。

自由とは、意思の自由のことですね。意思のない日本人にとっては、自由は宝の山の持ち腐れです。そして、恣意の自由は、’自由のはき違え’ になるから認められるものではありません。ですから、昔通りに、’不自由を常と思えば不足なし’ が正しいことになります。

 

>脱学校しなければ本来与えられるはずの選択の自由さえ得られない制度や風潮がどうにかならなければ学校教育の未来はない。

 

そうですね。日本語には時制がありませんが、英語には時制があります。ですから、英米式の高等教育を受けると、意思の内容を表現できます。

意思のあるところには、方法 (仕方) があります。Where there’s a will, there’s a way. 制度や風習の打開策を見つけて、それを実行に移すことも可能になります。

ですから、わが国の明るい未来への道も開けます。

 

 

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閲覧数84 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/05/23 22:31
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