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2018年08月19日(日) 

 

 

 

>2011年に著書『中国化する日本』が大きな反響を呼び、「気鋭の若手論客」として注目された歴史学者の與那覇潤氏。しかし2014年に激しいうつ状態を体験し、翌年から大学を休職。2017年には離職する。>その與那覇氏が、3年間の沈黙を破って今年4月に刊行した新著『知性は死なない 平成の鬱をこえて』が、増刷で1万部を突破するなど、​いま静かな話題となっている。平成の終わりを前に、緩慢だが着実な機能不全に陥りつつある日本の「知性」を、どう見ているのだろうか。

 

>――『知性は死なない』では、平成のあいだに起こった「グローバル化の逆説」が大きな主題になっていますね。

>冷戦体制が終わり、人びとがもっと自由に考え、さまざまな生き方を追求できる時代が来るのではないか。>平成は当初、そうした期待とともに始まったはずでした。

 

そうですね。今は自由な時代ですね。

 

>しかし実際には、「俺たちこそ社会の犠牲者だ、もっと分け前をよこせ」「あいつらはニセ被害者だ、一切の同情は不要!」といった、保護主義・排外主義的なナショナリズムが高まり、平成が終わるいま、日本人は昭和の最末期よりもギスギスしているように感じます。>どうして、こうなってしまったのでしょうか。

 

日本人には、意思がない。意思のない人には、加害者意識もない。加害者意識は、深刻な罪の意識になることもあるのだが、あるのは被害者意識ばかりである。自分は犠牲者であるという想いばかりに満ちている。加害者がいないのではない。加害者意識の持ち主が存在しないのである。だから、わが国はギスギスしている。

 

>與那覇:こうした議論をすると、往々にして「古きよき日本の伝統が、グローバル化で壊されたせいだ」と、「いや、日本社会が閉鎖的すぎて、全然グローバル化できないからだ」の両極端になりがちです。

 

原因を自己以外に求めようとしていますね。加害者意識の欠如は、実は自己の頭の中にあるのでしょう。

 

>しかし私はむしろ、日本社会の固有性と、グローバル化がもたらす普遍性の「噛みあわせ」が悪かった、と捉えるのがよいと思っています。

 

そうですね。日本と外国はかみ合わせが悪いですね。わが国の固有性 (現実) と国際的な普遍性 (非現実) の対決ですね。

 

>単純化していえば、「痛み分けの美学」が機能不全に陥ってしまったことが、今日の日本社会の「いやな感じ」の源泉ではないでしょうか。

 

そうですね。’痛み分け’ は、現実の中にあります。我々の向かう ‘あるべき姿’ は、現実の外にあります。両者は所在が違うので、内容も同じにはなりません。それで、痛み分けの機能不全が起こります。

 

>痛み分けの美学とは、以前書いた『中国化する日本』で「江戸時代に由来する『地位の一貫性の低さ』」と記したものです。>江戸時代の日本は、ちょっとめずらしい身分制社会になっていて、「決定的な勝ち組」がどこにもいない。>政治的な権力のある武士は、経済的には実は貧乏で、逆に裕福な商人には、政治的な実権がまるでない。>そのうえ高い知力を持つ知識人には、権力もお金もない(苦笑)。>ある指標で見た際の勝ち組は、別の指標での負け組になっている、つまり「痛み分けする身分制」だった。

 

‘足して二で割る’ 式の解決法は、日本人の常習的なやり方ですね。決して現実の外に出ていかない、解決法ですね。

西洋式の解決法は、’来るべき世界’ を目指す行動で、現実の中にとどまる発想法ではないですね。社会の変革を求めます。

日本人のやり方では、改革推進の指導者にはならないでしょうね。だから、国際社会の目立った存在にはならないでしょう。国際貢献を目指す日本人には、不甲斐ないものになるでしょう。来るべき世界の内容の勉強がどうしても必要ですね。それには、教養 (哲学) が必要です。

 

(略)

 

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閲覧数29 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/19 05:23
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