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2019年01月30日(水) 

 

 

>ブログ執筆の基本的な姿勢・・・事実に従ってそのまま書く >「tdyno.29-(7:05).mp3」をダウンロード

>【第一の事件】

> 1年ほど前に名古屋のとあるテレビ局で朝のニュース番組の解説をしたことがあります。>なにかエネルギーの話になり、アナウンサーが「石油などの化石資源はあとどのぐらいありますか?」と質問したので「8000年ぐらいは大丈夫でしょう」と答えました。

 

8000年ぐらいあれば、大丈夫ですね。そのうちに新しいエネルギーに切り替わりますね。

 

>アナウンサーは「ずいぶんありますね」という感じでしたが、隣の朝日新聞の論説委員は「いい加減なことを言うな」という趣旨の発言をしました。>自分のことをいばる訳ではありませんが、私は資源の専門家で大学教授として活動してきたのですから、自分の専門分野のことで新聞社の人から「いい加減」呼ばわりされる筋合いはないと思いました。

 

全くその通りですね。わが国では、専門家が尊敬されない傾向がありますね。

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

>そこで番組がおわり控え室で「私の見方と違うなら、根拠を示してくれ」と求めましたら、単に「受け売り」に過ぎないのです。

 

わが国の言論界は、受け売りの専門家で成り立っているようですね。学校で暗記力を鍛えているからでしょうか。思考停止も何のその。自分自身の意見がなくても、議論 (?) をしたがる。

 

>当然と言えば当然で、朝日新聞の人が専門の論文を読んだり、現地に調査に行ったりしていないのですから、日本の中で報道されていること(つまり私の言う「空気的事実」)を信じているだけなのです。

 

わが国では、受け売りの達人ばかりが養成されていますね。真の哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) が疎んじられています。

 

>でも、その朝日新聞の論説委員が特に悪辣ということでもありません。>日本の学者や専門家ですら、「資源がなくなると言う空気ならなくなると言う」、「温暖化するという空気なら温暖化するという」というのが今のやり方なのですから。

 

それは、オウムのようなものですね。付和雷同する国民性の表れですね。

 

>私はここ20年来、「自らが学問的に「事実だ」と思うこと、また「解析したらこうなった」ということは、たとえそれが「日本の空気的事実」と反してもそのまま言う」ことにしています。

 

そうですね。それが当然の態度ですね。

 

>こんな事を学者が念を押すこと自体がおかしいのですが、自分が事実だと思うことをそのまま言うと、「異端児」、「独自の考え」、「他人の心を配慮しない」と批判されることがあります。

 

日本人は、ご唱和の社会に住んでいますからね。わが国には、個人主義は育っていませんね。’よそもの、外人、非国民’ といったような発想ですね。

 

>【第二の事件】>朝日新聞の論説委員もそうですが、なぜ批判するかというと「みんなと違う」というのがその論拠です。

 

現実の世界は、頭の外にある。現実は見ることができる。その内容は、唯一である。ご唱和の可能な内容である。

非現実 (考え) の世界は、頭の中にある。考えは、見ることができない。ただの話である。わかるためには、理解が必要である。内容は、各人で違っている。矛盾を含んでいない全ての文章は、正しい考えを示している。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えとなる。だから、相手との対話は有用である。日本人は、全ての内容が現実関係のものである。他との内容の違いを、ただそれだけの理由で批判しようとする。できるはずがない。

 

>このような「空気的事実」を「正しい」とした極端な例が南極の氷で、IPCCが「温暖化すると南極の氷が増える」と英語の報告書で書いているのを、環境省が故意に誤訳し、NHKがIPCCの報告に反して「温暖化すると南極の氷が減る」と報道して、「空気的事実」を作り上げました。

 

IPCCというのは、Intergovernmental Panel on Climate Change (国連気候変動に関する政府間パネル) のことですね。

 

>そうすると、日本中が右へならえして科学とは正反対のことを言うようになり、その結果、IPCCの通りに言っている私が異端児になるという実に奇妙なことが起こったのです。

 

‘日本の常識は、世界の非常識’ ですね。

 

>この場合は学説でもなんでもなくて、私もNHKも同じIPCCを根拠にしていているのですが、NHKは「IPCCといってもIPCCのまま報道するより、空気的事実としたいもの」を報道するのが適当だと考えたのでしょう。

 

日本人の考え方ですね。これでは、我が国民は時流に流されてしまいますね。わが国においては、学問はむなしい。これも、高文脈文化 (high context culture) のせいか。

 

>NHKが間違った報道をするはずがないということで空気的事実が確定しました。>これは日本社会にも影響を与えましたが、学者としての私の立場から言えば、「大きく研究をするのが阻害された」という結果になりました。

 

わが国では、空気・雰囲気が絶大な力を持っていますね。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

>【私の立場】>私たち学者は「真理と正義を愛する」職業についていて、教育でも子どもたちに「真理と正義を愛せよ」と教えているのですから、到底、「みんなが受け入れやすいから」という理由でウソを研究したり、教えたりはできないのです。

 

そうですね。

 

>少し長くなりましたが、このブログで書くことは、1)事実であり、2)それに基づいた考え方であり、3)もし違う考えがあれば必ずそれも併記する、ということに終始します。

 

それは、正しい態度ですね。

 

>社会にどんな空気的事実があっても、個人を批判したりするのはできるだけ控え、自分の心をまっすぐにして、冷静に書いていきたいと思っています。

 

同感です。正しい批判は、すべきでしょうね。それが、建設的な態度というものですね。

 

>(平成24年12月21日) >武田邦彦

 

 

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閲覧数26 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/01/30 17:50
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