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2019年03月22日(金) 

 

 

(略)

>日本と日本人の文化

> 1、クリエイティブな発相―1

> 日本人が持つ自由な発想、これが世界で注目されています。 > 世界の人々からすると、日本人は「世界で最もクリエイティブな人々」なのです。 

 

そのことは、初めて聞きましたね。猿真似ばかりが得意だと聞かされていましたからね。

 

>これは、2012年アドビ・システム社が行った調査「最もクリエイティブな国は?」というアンケート結果によく現れています。 >そこでは、「最もクリエイティブな国は日本」「最もクリエイティブな都市は東京」という結果が出ているのです。

 

日本人には、嬉しい判定ばかりですね。

 

>このアンケートの詳細はここでは省略しますが、世界で注目される「創造力の豊かさ」は、私たちの何気ない日常の中にも多く見ることができます。 > 例えば100円ショップで、僅か100円出せば買える「便利グッズ」の数々、高性能な保温グッズ(ホッカイロ、特殊な素材の毛布など)、また最も外国人が驚くのが「高性能トイレ」です。 >これは、何も日本が寒がりゆえに無理やり生み出した、ということだけが理由ではないようです。 >寒いのなら厚着をして布団を沢山かぶって寝る、というだけでは私たちは満足せず、もっと「効率」を重視する国民性があるのです。

 

なるほど、日本人には良いことばかりですね。

 

> 日本人は元からきれい好きで、整然とした美しさを好みます。 >無駄なものを排除するミニマリズムの精神が、「布団を沢山かぶる」のではなく、「起毛素材の温かい1枚の毛布」という発想に結びつくのだと思います。 

 

そうですね。日本人は、整理整頓を好みますね。

 

>禅の精神に基づく私たちの思考する習慣は、実は効率の良さを追求し、様々なアイデアを生み出すことに繋がっているのです。

 

禅僧の発明品が特に多いと言うわけでもないようですね。

 

>クリエイティブな発想 -2

>日本人がいかに創造性に溢れているか、それを考えるときに、日本人に「宗教に縛られない自由」があることを忘れてはなりません。

 

縛られない宗教のすばらしさですね。禅の精神に縛られることはないのでしょうね。目先・手先に関した思い付きのようなものが多いですね。

 

>私たちの歴史の中で、宗教紛争が起こったことはなく、日本に数多くある仏教寺院やキリスト教教会、或いはイスラム教徒のモスクは、全て共存の道を選んでいます。

 

なるほど。坊主の丸焼きは、喜ばれていませんね。わが国は一国一民族ですから、民族浄化の考えも成り立たないですね。

 

>これは、「和の心」を重んじた結果であると思われます。

 

つまらないこと (宗教) で命を落とすのは、本当につまらないことですからね。

 

>よく私たちは「日本人には宗教意識が足りない」といいますが、逆に言えば、そのことが異なる宗教の共存を可能にし、私たちの寛容さを示しているのです。

 

布教や折伏はやりませんね。中国でも、人々は特定な宗教に拘りを見せませんね。回教徒とチベットの仏教徒は例外ですかね。

 

>白無垢で結婚式を挙げたあとのホテルでのパーティーでウェディングドレスを着るという、神道とキリスト教式婚礼儀式をごちゃ混ぜにする光景は、日本人からすると、まさに「いい加減」に見えるのかも知れません。>しかし、これが「斬新」にも見えるのです。

 

まさに良いとこ取りですね。日本人は、何でもできますね。

 

>宗教に縛られていたら、恐らくこのような自由な結婚スタイルは実現できないでしょう。

 

自由な宗教の時代が到来しましたね。

 

>私たちは、縦社会に則って、ある意味では個人を主張できず、抑圧された中で生活しています。

 

日本人は無哲学・能天気ですから、個人の主張はできませんね。最初から、諦めていますね。’不自由を常と思えば不足なし’ ですか。

 

>しかし一方で、宗教観念に囚われずに自由でいられ、オリジナリティ溢れるものを生み出しています。

 

日本人の考えには、前世・現世・来世の非現実 (考え) の三世界もありませんね。自分自身の来世の内容を現実において実現すれば、それは個人のオリジナリティになるのですがね。

世界観のない着想は、とかく小さなものになりがちですね。目先・手先の事柄、細工物の仕上がり具合など、話の内容が小さなものばかりになりがちです。もちろん、些細なことも重要なのですが、その励みが原因となって大きな内容を見逃しているのはもったいないことです。世界観は、考え (非現実) の内容です。考えの内容を理解するには、文章の内容を理解する必要があります。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。ですから、正解は、唯一つではありません。幾らでもあります。考えは、人さまざまです。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになります。ですから、人との対話は矛盾を指摘してもらうことと、その解消に役立ちます。そうでなければ、独りよがりはなくなりません。

 

>また、日本人は伝統的な考えに囚われつつも、世界でも無類の「新しい物好き」です。

 

考え (非現実) の新しさは拒否しますが、物 (現実) の新しさは好みますね。物だけに執着することは、もったいないことです。

わが国は、資源小国であります。物にこだわらず、考えに価値を見出す努力も必要です。考えの新しさをも追及すれば、GAFA (Google, Amazon, Facebook, Apple) のような発展も可能になります。

 

>古くからあるものの中に新しいものや最新技術を取り入れ、それを自国の新しい文化に作り変えてしまう、そんな創造性にも溢れているのです。

 

そうですね。我々は、物の文化に拘りがありますね。考えの文化にも親しむ努力をいたしましょう。

現実は、頭の外にある。写生画のようなもので、見ればわかる。

非現実・考えは、頭の中にある。 ただの話であるから、見ることができない。納得する為には、文章の理解が必要である。

見ることのできる内容は、本当のことである。見ることができないものは、嘘である。これが、日本語流の判断であります。誰も ‘見て来たような嘘’ をつきたくはない。だから、自ら考えたこと (非現実) を語らない。これが、思考停止の状態であります。だから、わが国には、受け売りの専門家ばかりが増えている。受け売りの専門家には、創造力がない。天下の秀才ばかりで、どうしようもない。

非現実 (考え) の内容を文章にするのには、文法に時制 (tense) というものが必要です。時制は、英語あって、日本語にはない。

我々日本人も、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解して自己の考えを文章にしよう。さすれば、物にこだわることのない考えの内容に関しても創造力を発揮できます。自国の新しい文化の発展にもなります。

 

 

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閲覧数465 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/03/22 17:48
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