>363233 部活動での「いじめ」がなくならない日本の核心 >ABC豆 ( 25 会社員 ) 21/01/03 PM00 >学校という閉じた空間で起きる「いじめ」。
学校という閉じた小さな空間が ‘牢’ であるとするならば、いじめる人は伝統的な ‘牢名主’ のようなものか。
>昔から現在までそのことは変わりませんが、何故学校ではいじめがなくならないのでしょう?
それは日本語の階称 (hierarchy) によるところが大きいでしょう。
>海外の学校と比較すると、日本の「部活」の仕組みが、子供たちと現実社会を隔絶する構造になってしまっているのではないかということが見えてきます。 >以下抜粋
井 (学校) の中の蛙 (子供) 大海 (現実社会) を知らず。 日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも云うのも、序列社会の言い換えに過ぎない。 日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家にまでつながっている。 序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
>==================== >「俺は1人で生きていくぜ」と格好いいことを言っても無理な話で、さまざまな人間関係の中でわれわれは生きている。
世の中は ’持ちつ持たれつ’ の関係にありますね。
>そのなかで出てくる問題のひとつがいじめである。
閉ざされた空間における世俗的な序列関係の確立過程ですね。
>いじめとは個人の自尊心に対して、繰り返し攻撃し、傷つける暴力だ。
わが国は序列制度の国ですからね。国民はこぞって ‘下におれ、下におれ’ と掛け声をかけあっているのではありませんか。
>被害者は肉体的にも心理的にも健康状態を崩し、最悪の場合、自死に至ることもある。
そうですね。被害者は疲労困憊ですね。
>ところで、この調査では日本でのいじめの被害を経験した人のポイントがかなり低い。>「実態と合わないのではないか?」と疑問を呈するわけではないが、日本版の報告書でも指摘されているように、設問の仕方、いじめの質的な違い、認識の違いなどに国や地域によって違いがあると思われる。>それにしても、たいていのいじめは繰り返し行われ、そして競争を煽られる環境で生じやすい。
序列順位の獲得競争に起因するのでしょうね。
>この点に着目すると、構造的にいじめが発生しにくいと思われる部分がドイツにはある。 >特にスポーツ分野がそうだ。 >この部分を紐解いていこう。 >繰り返されるいじめの現在は、頻繁に顔をあわせる環境にあるからといえる。
閉ざされた空間での世俗的な序列関係の実践ですね。
>ここに焦点を合わせて、日本とドイツを比べると、学校制度が異なる。>まず学校にいる時間だ。 >日本のほうが圧倒的に長く、ドイツは短い。>ドイツの学校は「半日モデル」がベースになっている。 >もちろん学年が上になってくると授業が夕方まである日も出てくる。 >また数年前から「終日学校」というものもできてきている。 >それにしても「半日モデル」をベースに追加的に学年によって午後から授業があると考えるとドイツの学校を理解しやすい。
半日モデルは良いですね。閉ざされた空間ができにくい。世俗的な上下関係は目的とする活動以外の所で起こります。
>それから、ドイツの学校には部活がない。 >もちろん授業以外にプロジェクト型の取り組みはあるし、「部活のような」活動がまったくないわけではない。 >しかし日本のように学校の基本設計に組み込まれたかのような課外活動はない。 >特に朝練からはじまって、放課後も練習を行うような部活動は考えられない。
部活は学校の目的以外になりますね。
.
|