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2021年01月04日(月) 

 

 

>日本の部活にある「体育会系」とは真逆のスポーツ文化だ。  

 

日本の部活は先輩と後輩の社会 (縦社会) ですね。縦社会と横社会は真逆な関係にありますね。      

 

>年齢や学校の違う子供が集まり、競技によっては高校生ぐらいの若者と年金生活者がいっしょに汗を流すこともある。 >この姿には「共にスポーツを楽しむ平等な仲間」という言葉が重なる。 

 

則ち横社会ですね。  

 

>また、クラブに入ってみたものの、自分に合わないと思えば、簡単に別のクラブを探せばよい。 >学業・スポーツ(部活)がワンセットになった日本の学校システムではなかなか難しい。 

 

縦社会から脱退することは難しいですね。脱退した個人は、非国民・外人扱いとなりますね。日本人としての序列メンタリティ (考え方) そのものを疑われますね。この現象は西洋社会における無神論者に対する扱いのようなものですかね。  

 

>日本とコントラストを大きくしていえば、社会全般の中で、「学業(学校)コミュニティ」と「スポーツコミュニティ」が分離しているのがドイツだ。 >平等性を基本にしつつ、人間関係の多様性がある。  

 

縦社会と横社会の違いですね。   

 

>そして、日本ほど長時間顔をつきあわさなくともよい。 >いじめの発生要因から考えると、この構造は一考に値すると思う。 

 

そうですね。縦社会では、序列順位を決めるためになれ合うことが必要ですね。これには時間がかかります。いじめによる勝負がつかなければ世俗的な序列順位は決まらない。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の手段でもありますね。言語の特性重視は我々の生活改善に役立つと思いますね。   

フランク・ギブニー氏 (Frank Gibney) は、自著 <人は城、人は石垣> (Japan The Fragile Superpower) の中で、日本語と英語の違いについて、次のように述べています。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じ込められていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味を持つ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行なわせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には ”to be” にあたる適当な動詞がない。“being” とか “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。(引用終り)     

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

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>引用文献:東洋経済 Online「部活動での「いじめ」がなくならない日本の核心」より

>リンク   

 

 

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閲覧数20 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/01/04 04:59
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