>学力の向上といったところで、実社会に通用しない学力では、意味がない。
そうですね。日本人には実学 (技術) が適していますね。論語読みの論語知らずになっては困りますね。現実ばかりを表現する日本語文法では哲学 (非現実) の勉強は無理でしょうね。しかし、個人に哲学がないと、世界に通用しませんね。その世界も実は実社会ですがね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。これでは人間が完成しませんね。
>ゆとり教育といったレッテル貼っても中身がない。>そんな、意味のない、とってつけた理由を付けるのは、やめるべきだ。
そうですね。 見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実 (考え) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。 現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。 非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。 理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。
> 最近、世話をみようとしたり、面倒をみようとすると素直に応じない人間が増えている。
それは人間不信ですね。
>私にも覚えがあるが、人の好意を素直に受けとめられないというより、何か、魂胆があるのではと、ついうがった見方をしてしまうのである。
隙あらば狙う態度を警戒しているのでしょうね。
>相手の魂胆が見え見えの方がかえって安心する。
浅知恵の人は自滅しますからね。相手の人は安心できますね。
>そのくせ、相手に利用されることを極端に嫌う。 >臆病なのである。 >そして、そういう、自分がまた、いやになる。 >その繰り返しである。
現実は千変万化している。現実に対応する生活で忙しい。
> まず、最初に隠し事や嘘があったら、信頼関係は築けない。 >現行の教育制度には、最初に嘘やごまかしがある。
人を信じれば騙される。
>土台からして教師と生徒の人間関係はもろくできている。
生徒は先生の飯のタネ。
>そのうえ、受験戦争によって友人関係は、ずたずたに引き裂かれる。
昨日の敵は今日の友になるのか。相手を下すことにより、自己は相対的に上昇する。
>この様な人間関係の中に長くおかれたら、なにも、信じられなくなったとしてもおかしくない。
そうですね。 相互不信の関係ですね。 共通する未来社会の建設は不可能ですね。
>人を信じることを教えられない教育なんて最低だ。
そうですね。人間は助け合って生きるものですね。
>今の教育は、人を信じることを教えるどころか、人を信じられなくしてしまう。
人を信じれば騙される。振込め詐欺に気をつけろ。信頼できる根拠を得てから人を信頼する必要がありますね。
> 人の世話や面倒をみるのは、目先の利益だけが目的ではない。
そうですね。賃走だけが人生の目的ではありませんね。
>志を同じくしたり、愛情があれば、人の世話をしたり、面倒をみるのは、親が子供の面倒をみるのと同じ事であり当たり前なことだ。 >何ら不自然なことではない。
そうですね。それは天国に近いところですね。
>かつては、親子関係だけでなく、師弟関係、先輩後輩関係といった人間関係の中では、当たり前にされてきた。
それは伝統的な序列社会 (縦社会) の習慣でしたね。
>この当たり前にされてきたことが、最近では当たり前ではなくなってきたのである。
我が国の序列制度の崩壊ですね。
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