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2021年01月27日(水) 

 

 

>2021年01月21日

>受験勉強は毒薬である。

>中学、高校という柔軟で、様々なことを学ぶ大切な年代を受験勉強に費やし、後のになにも残らず、得られるのは役に立たない学歴のみ。

 

処世術偏重の教育ですね。真の学問が疎かですね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。

我が国では神に意思が無く人にも意思がない。だから、神も人も談合をくり返している。談合は、恣意 (私意・我儘・身勝手) のすり合わせである。    

 

>なんと無駄なことでしょう。>いや、無駄どころか、試験脳で思考停止し、現実の課題に立ち向かえなくなってしまうとしたら、それは害悪そのものといってもいいでしょう。

 

思考停止の人は、現実直視ができませんね。これは極めて危険な状態ですね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する思考停止の事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)     

 

>今回はそんな受験勉強について考えてみます。 > にほんブログ村 子育てブログへ  >以下(https://gentosha-go.com/articles/-/20111 )より引用します。

>———————————-

>「目的」の再確認と「手段」の再構築

>私が麹町中学校で実践してきた方法は、学校に限らず、あらゆる組織で活用できます。>目的と手段が一致しないものや、手段が目的化しているものは廃止・見直しをする。 >その上で、本来の「目的」を再確認して、最適な「手段」を再構築する。 

 

目的と手段の整合性は重要ですね。   

 

>そうしたプロセスで改善を図っていくことが大切です。 >現在の学校教育を見渡すと、目的と手段の不一致はもちろんのこと、手段自体が目的化されているようなケースがたくさんあります。

 

そうですね。手段の目的化はありふれていますね。   

 

>加えて、そうした矛盾に多くの人が気が付いていないか、あるいは「見て見ぬふり」をして、何らアクションを起こさないでいることについて、なぜなのだろうと、私はずっと考えてきました。   

 

そうですね。日本人は理屈に疎い。その上、日本人には意思がない。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

 

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閲覧数576 カテゴリアルバム コメント1 投稿日時2021/01/27 02:01
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コメント(1)
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  • 2024/03/23 12:58
    中村 健さん
    シンガポールプライベートバンカージャーナル(https://sp-journal.com/) を運営しております、編集長の中村と申します。

    貴社のサイトを拝見させていただき、相互リンクにより貴社サイト内にリンクを掲載していただけないかと思い、ご連絡しました。

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