1,266万kW/1,887万kW (10/27 22:35)
67%
2021年03月14日(日) 

 

 

>【実現塾】活力どん底の日本人の可能性(本能編)

>実現塾の要約です。

>【1】日本人の活力が、ダントツで世界最下位なのはなんで?  

 

日本人には意思がありませんからね。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

(略)

>・しかし、共認原理の縄文人は、力の原理に対応する術を持たないので、彼ら支配階級をお上として切り離し、自分たちは村落共同体を形成して相変わらず共認原理で生きてきた。  

 

我が国のお上には指導力がありませんからね。 

英米人には意思がある。意思のあるところには方法 (仕方) がある。方法のある個人に権力を与えて問題の対処を任せる。かくして、問題は解決する。

日本人には意思がない。意思のないところには方法 (仕方) がない。仕方が無いので、方法のない個人であってもトップに据える。しかし、権力を与えると自己の恣意を通す恐れがあるので、できるだけトップは床の間の置物のようにしておく。だから問題は解決することなく、国民は諦めて閉塞感を味わっている。 

 

>・しかしそれは、村落共同体を超えた社会や国家のことは「自分とは関係ない」と捨象する意識を根付かせることになった。   

 

日本人には世界観がない。  

 非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。        

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>◎結局、朝鮮から来た支配階級は3000年前から私権収束しているが、大半の農漁民はほぼ縄文体質のままで、庶民が私権収束を強めていったのは、せいぜい明治以降150年に過ぎない。  

 

立身出世に励むことにより身分制度から逃れることができましたね。   

 

>◎縄文体質と自我・私権はもともと背反するので、私権の衰弱スピードは日本人が段違いに速い。  

 

日本人には意思がないので他のアニマルと同様に、ややもすると自然の中に溶け込んでしまいますね。   

 

>私権が衰弱すれば、私権と一体化されてきた独占欲の性も、どこよりも速く衰弱する。 >◎それが、日本人の活力がダントツで世界最下位である理由である。 

 

我が国は序列社会で出来ていますから、義理 (序列関係から生ずる義務) が廃ってこの世が闇になったのではないでしょうか。義理を果たす時の日本人には活気がありましたね。      

 

>と同時に、日本人の私権収束が段違いに弱いということは、脱私権⇒本源収束の可能性をどこよりも豊かに秘めているということでもある。   

 

日本人はおとなしく自然に溶け込むことになりますね。   

 

>【2】科挙の時代から、入試は私権を獲得するためにある。  

 

入試は学問に名を借りた処世術の励みですね。    

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数403 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/03/14 14:40
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1208241