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2021年10月08日(金) 

 

 

>ノーベル物理学賞の真鍋淑郎氏の日本に戻りたくない理由「核心をついている」

> 2021/10/08 16:34

(略)

> 真鍋淑郎・米プリンストン大学上席研究員(90)が、2021年のノーベル物理学賞を受賞した。

>同じ日本人として誇らしい思いになった人は多かったかもしれないが、真鍋氏は米国籍を持つ。

>記者会見で停滞する日本のサイエンス研究に一石を投じた発言は大きな反響を呼んだ。

> 愛媛県新立村(現四国中央市)で生まれ育った真鍋氏は、東大大学院で博士号を取得すると渡米してアメリカ国立気象局(現海洋大気局)に入局。

>1960年代に地球の気候を解析する手法を開発し、大気中の二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化に影響することを実証。

>その業績が高く評価され、ドイツの研究者とともにノーベル物理学賞を受賞した。

>  97年に日本に帰国し、宇宙開発事業団と海洋科学技術センターによる共同プロジェクト「地球フロンティア研究システム」の地球温暖化予測研究領域の領域長に就任したが、2001年に辞任して再渡米する。

>報道によると、地球シミュレータを利用して他研究機関との共同研究が、所管元である日本の科学技術庁の官僚から難色を示されたことが辞任のきっかけとされている。

>「日本の頭脳が流出した」と海外でも報じられた。

>  ノーベル物理学賞受賞が決まり、5日に記者会見を開いた真鍋氏の発言は示唆に富んでいた。>報道によると、日本からアメリカに国籍を変えた理由を聞かれ、以下のように語った。>「面白い質問です。

>日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。>彼らはとても調和的な関係を作っています。>日本人は仲がいいのはそれが主な理由です。>ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。

 

そうですね。日本人には自己がない。自己が無いと人間はどうなるか。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。総理大臣にも選ばれる。  

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

日本人は思考を停止しており万事受け身で対処するが基本姿勢である。だから、研究の自由には程遠い。     

 

>日本で『はい』『いいえ』と答える形の質問があるとき、『はい』は必ずしも『はい』を意味しません。>『いいえ』の可能性もあります。>なぜ、そう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。>だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです」 

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています 。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」   

 

>「アメリカでは自分のしたいようにできます。

 

アメリカ人には意思がある。だから、個人の意思を守ろうと努力します。日本人には意思がない。しかし、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、相手の恣意を阻止しようと努力します。      

 

>他人がどう感じるかも気にする必要がありません。  

 

日本人の得意とする忖度 (推察) はないですね。だから、ドライに割り切ることが習慣となっています。     

 

>実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察したくもありません。 

 

‘人の振り見て我がふり直せ’ とは行きませんね。   

 

>何を考えているか解明したいとも思いません。>私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。  

 

本当にそうですね。

 

>アメリカでは自分の研究のために好きなことをすることができます。  

 

それは研究の自由ですね。   

 

>私の上司は、私がやりたいことを何でもさせてくれるおおらかな人で、実際のところ、彼はすべてのコンピューターの予算を確保してくれました。>私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありませんでした。  

 

個人の才能を伸ばす環境ができていましたね。    

 

>自分の使いたいコンピューターをすべて手に入れ、やりたいことを何でもできました。>それが日本に帰りたくない一つの理由です。       

 

本当にアメリカは自由な国ですね。   

 

>なぜなら、私は他の人と調和的に生活することができないからです」> 会場からは笑いが漏れたが、科学部記者は「核心をついている。>真鍋氏の頭脳を生かせない日本の科学界、社会は危機感を持つべきです」と警鐘を鳴らす。

 

そうですね。’和を以て貴しとなす’ の一つ覚えでは、近代国家は成り立ちませんね。遅れた日本の国民は危機感を持つべきですね。       

 

>「日本の優秀な研究者が海外へ流出するのは待遇も環境も海外の方が良いからです。  

 

そうですね。研究者には高度な自由が必要ですね。       

 

>日本では自分のやりたい研究に使える費用、時間が限られている。 >そうなると失敗を恐れて冒険しなくなる。 >画期的な発明が生まれる土壌ではなくなってしまう。 

 

研究の自由を念頭に入れて活動しなければ、研究の成果は上がりませんね。  

 

>調和を重んじる日本人の国民性が決して悪いわけではありません。>世界でも日本人の協調性を高く評価している。>ただ、真鍋さんが会見で言われたように、日本は科学者と政策決定者の間のコミュニケーションを取れていない。  

 

そうですね。わが国の政策決定者は研究者個人の意思の自由を守ろうとしていませんね。これはわが国の発展に致命的な障害となっていますね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。だから、お変わりのないことが何よりなことである。ノー・アイディアで暮らすことになる。

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば、その人は当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

日本人には罪がない。意思の無い人には罪がない。意思の無い人は能動がなくて、受動だけの生活をする。被害者意識はあっても、加害者意識がない。だから日本人は加害者意識が高じて体験する罪悪感に苛まれることがない。これはアニマルも同じです。だから、日本人には罪がない。罪の意識におびえる人たちが日本人に謝罪を勧めたらどうなるか。それは自虐行為の勧めと受け取られて恨みを買う事必定である。 日本人は罪を語らない宗教である神道・仏教の周辺に集まっている。とにかく、罪の匂いのするものは日本人の体質に合わない。それは陰気のもとになる。だから日本人は罪の話は嫌いです。罪の意識のない人には、病める魂もなく、その救済も必要としない。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) も、わが国では力を持つに至らなかった。

戦後の占領軍のWGIP ( War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) という奇特な計画も見事に失敗しました。これは、アフガンに民主主義を植え付けようとするアメリカ人のようなものか。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 欧米人は哲学と意思により人間の行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は ‘口実・言い訳・言い逃れ’ である。本音は、’私意・我儘・身勝手 である。だから、現実の中に行為がうずもれてしまい低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

 

>科学は成功の裏で試行錯誤の連続です。>失敗を許容する文化も大事だと思います」

 

そうですね。実験は ‘一か八か’ を試す行為ですからね。  

 

> 真鍋氏の提言をどう受け止めるか。>日米両国の環境で研究に没頭しただけに、その言葉は大きな価値がある。  

 

そうですね。日米両国の環境で研究した人もわが国には少なからずいるでしょうから、その人たちの貴重な価値判断を増幅して知らせるのがマスコミの役割ですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)

 

>(松木 歩)

 

 

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閲覧数819 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/10/08 22:18
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