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2021年10月31日(日) 

 

>産経新聞 >書評 『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』 本家と乖離 日本の人事論 > 2021/10/31 10:30

 (略)  

>ジョブ型の人事制度を導入―。 >昨今、こんな言葉をよく目にする。 >もともと、この語は欧米の雇用システムと日本のそれを比較するために用いられたものだ。 >欧米がジョブ型、対して日本はメンバーシップ型という。 >ジョブ型に変えれば日本型雇用の旧弊を清算できるだろうと、企業は好んでこの言葉を使う。 

 

旧弊の清算は難しいですね。日本型雇用の旧弊は奥が深いからですね。    

 

>ただ、それは本物の欧米型とは似ても似つかない。 >そんなカオスの中、「ジョブ型・メンバーシップ型」の名付け親の濱口桂一郎氏が、重い腰を上げた。 >氏の解説はコロラリー(論理的帰結)だ。 >欧米型の雇用は、職務・ポストが明確に決められた限定型契約だ。 >一方日本は、無限定であり、会社の一員となるという身分契約だ。 >これだけのことが、キャリアや社会観でさまざまな違いを生み出す。  

 

そうですね。社畜は終身雇用の正しさを盲信していますからね。    

 

>例えば整理解雇だ。>仕事が決められている契約なら、その仕事がなくなれば解雇は当然。>だから欧米は整理解雇に寛容で、日本はその逆となる。>これは法規制の問題ではなく、契約と義務の合理性でしかない。 >だから「解雇規制緩和」をいくら叫んでも結実はしないのだ。 

 

日本人の根強い自己の序列に対する帰属意識に打ち勝つことは難しい。   

 

>職務契約なら同じ職務を遂行する限り誰でも同じ賃金となる。 >だから同一労働同一賃金は当然の帰結だ。  

 

そうですね。分かりやすい理由ですね。ドライに割り切ることが可能ですね。   

 

>一方、身分契約なら賃金は本人等級で決まるから、同一賃金則は通らない。  

 

日本人の社会は序列社会ですから、同一賃金則は通りませんね。義理と人情の世界では判断の基準が違うからですね。       

 

>残業が多いのは辛(つら)いが、不況時に仕事が減っても「残業削減」で雇用は維持される。>身分契約ゆえに解雇ができない日本社会には、残業は必須アイテムだ。  

 

そうですね。‘義理 (序列関係から生じる義務) が廃ればこの世は闇だ’ でしょう。日本人は自己の序列には並々ならぬ帰属意識を持っていますからね。   

 

>果ては一般健康診断を企業の義務としているのも、身分契約のためだ。 >欧米なら「職務上起こりうる疾病」に対応した特定健診のみ企業義務となるが、職務無限定な日本は社員の健康管理をせねばならない。 

 

それも、もっともなことですね。序列人間による序列体制の維持の為ですね。   

 

>雇用慣行は系をなし、キャリアや社会全般に影響を及ぼしている。

 

そうですね。社会構造に深く根差したメンタリティの問題ですね。       

 

>ホリスティック(全体的)な視座を持たず、安易に「ジョブ型」というのはやめよう―。  

 

そうですね。安易に ‘ジョブ型’ というのは猿真似になりますね。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、考えるための手段でもあります。日本人特有の考えは、日本語特有の性質によることも考えられます。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。無礼講になる。これは序列社会に安住している民にとって恐ろしいことである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティ (考え方) を有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことには懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが、正一位に達するのは容易なことではない。 

 

>そんな濱口氏の声が聞こえてきそうだ。>濱口氏や私は、事あるごとに「なんちゃってジョブ型」の本家本元との乖離(かいり)を指摘していた。 >そうした批判を受けてか、「日本的ジョブ型」なる語が多用され出した。 >直訳すれば「日本的欧米型」。 >まったく、自家撞着(どうちゃく)にもほどがある話だろう。  

 

そうですね。日本流欧米型の解釈ですね。‘仏作って魂入れず’ ですね。   

 

>(岩波新書・1122円)

>評・海老原嗣生(雇用ジャーナリスト)  

 

 

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閲覧数258 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/10/31 20:56
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