1,476万kW/2,039万kW (03/29 17:35)
72%
2021年12月10日(金) 

 

 

>zakzak >岸田首相に“信頼回復のチャンス” 米が開催「民主主義サミット」 北京五輪の「外交的ボイコット」明言するか 「台湾守る」メッセージが求められる  > 2021/12/09 15:30

>ジョー・バイデン米政権は9、10日、オンライン形式の「民主主義サミット」を開催する。 >「自由」「民主」「人権」「法の支配」といった、共通の価値観を持つ自由・民主主義陣営の首脳らが、中国などの専制主義勢力の脅威に対峙(たいじ)する姿勢を共有する場となりそうだ。 

 

バイデン大統領は頼もしいサミットを開催しますね。   

 

>蔡英文総統率いる台湾の招待が話題となるなか、岸田文雄首相の姿勢・発信も注目される。  

 

岸田首相も光ってほしいですね。   

 

>政界屈指の「親中派」である林芳正外相の言動などから、「米国は、岸田政権の『対中政策』に不信感を抱いている」との指摘もある。  

 

岸田首相は林芳正氏から距離を置くべきですね。そうでなければ捻じれ内閣になります。能率が上がらない。      

 

>北京冬季五輪に政府代表を派遣しない「外交的ボイコット」への態度を含めて、岸田首相は「信頼回復のチャンス」を生かせるのか。  

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

 

>◇

>「民主主義は偶然そこにあるのではない。>われわれが守り、闘い、強化し、改めていかねばならない」>米国務省は、民主主義サミット開催にあたり、バイデン氏のこうした発言を紹介した。>出席する各国リーダーらに覚悟と行動を求めたようだ。

 

アメリカは独立戦争以来民主主義の為の戦いに自信を深めていますね。   

 

>サミットの参加リストには、約110カ国・地域が名を連ねる。 >欧州の同盟・友邦諸国をはじめ、日本やオーストラリア、インドを含むインド太平洋諸国、中国が経済・政治的な影響力を広げるアフリカや中南米などの途上国も目立つ。

>中国やロシアなど、権威主義国家は排除された。

 

権威主義は良くないですね。   

 

>バイデン政権は、中国の軍事的圧力を受ける台湾も招待した。 >台北駐米経済文化代表処の蕭美琴代表(駐米大使に相当)と、デジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タン(唐鳳)氏が出席する。 >事実上、「台湾の国家承認の場」となるという見方もある。 

 

香港における一国二制度の失敗は台湾の教訓になりましたね。    

 

>国際政治に詳しい福井県立大学の島田洋一教授は「民主主義サミットは台湾が招待されたことが大きなポイントだ。>米国の同盟国である日本としては、サミットの場で『台湾の民主主義を守る』というメッセージを明確に表明することが求められるだろう」と指摘する。

 

日本人は常に受け身ですね。意思がないからでしょう。   

 

>欧米諸国の議会では、中国当局による新疆ウイグル自治区などでの人権弾圧を非難する決議が採択されているうえ、各国の議員団が台湾を訪問して国際的地位を高める動きが相次いでいる。 >一方、日本では、先の通常国会で中国を非難する決議が見送られた。 >今回の臨時国会で実現するかは不透明だ。  

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

 

>岸田首相の曽祖父が台湾で事業をしていた縁があり、台湾は当初、岸田政権に期待していた。 >ところが、林外相が11月21日のテレビ番組で、中国の王毅国務委員兼外相から訪中要請を受けたことを公表し、「調整していこうと」と発言したことなどでムードが変わった。 >米国と台湾は「岸田政権は親中政権では」と警戒しているという。

 

無哲学・能天気でいては、岸田政権は信頼されませんね。政治哲学は絵空事ではない。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。    

 

>バイデン政権は6日午後(日本時間7日未明)、ウイグルでの人権弾圧を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と批判し、来年2月の北京冬季五輪の「外交的ボイコット」を発表した。>オーストラリアと英国、カナダも8日、これに続いた。

 

彼らはFIVE EYES の一員ですからね。メンタリティが同じでまとまり易いです。      

 

>日本は日米同盟に加え、米国とオーストラリア、インドも加えた戦略的枠組み「QUAD(クアッド)」で緊密に連携している。 >もし、岸田首相が民主主義サミットで、中国の人権弾圧を批判して「外交的ボイコット」を明言し、「台湾の地位向上」を支持する姿勢を示せば、バイデン政権など民主主義諸国の信頼を回復することができそうだ。 

 

日本人はアメリカ人に信頼されていませんからね。無哲学・能天気でつかみどころがない。     

 

>中国事情に詳しい評論家の石平氏は「民主主義サミットは、参加国に台湾を受け入れ、自由主義国家が結集して中国など権威主義的な国家と対峙する意思を共有する場になる。   

 

そうですね。    

 

>岸田首相は、安倍晋三元首相のように『台湾有事は日米同盟にとっての有事』という強い表現を使える立場ではないかもしれない。>だが、中国の人権弾圧に毅然(きぜん)とした態度で向き合い、『台湾への挑発行為を許さない』と意思表明することで、今までの態度を払拭するチャンスになる」と語った。

 

そうですね。’義を見てせざるは勇無きなり’ ですね。日本人は無哲学で処世術 (損得勘定) ばかりがある。だから、勇気が出ない。      

 

>ただ、岸田政権のスポークスマンである松野博一官房長官は2日の記者会見で、「(ウイグルで)重大な人権侵害が行われているとの報告が数多く出されており、人権状況を深刻に懸念している」と語ったものの、「外交的ボイコット」は8日、「適切な時期に諸般の事情を総合的に勘案して自ら判断する。 >現時点で何ら決まっていない」と語るだけだ。

 

意思決定が遅れるのは日本人の特徴ですね。日本人には意思がないから、意思に考えを集中させることが難しい。だから意思決定が遅れる。    

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日)  (引用終り)    

 

>前出の島田氏は「中国に対する姿勢は、日本や米国を含めたG7(先進7カ国)で意思決定すべきだろう。

>G7では唯一アジアの国で、中国に領土を脅かされる可能性があるのが日本だ。

>本来、中国に向き合ううえで一番の当事者となるのだから、北京五輪の外交的ボイコットも含め、対中では先頭に立つリーダーシップが求められている」と語っている。

 

日本人には ‘政治哲学 (非現実・考え) =自国の国益’ であるというとらえ方がないのでしょうね。教養が足りないですね。    

現実 (事実) の内容は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。これに対して非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文章になる。文章にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを表している。だが考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  そうでなければ我々は、つかみどころのない人間になる。   

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)  

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。      

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数231 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/12/10 08:46
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1210081