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2022年06月29日(水) 

 

 

>プレジデントオンライン  >だから給料がちっとも上がらない…経済大国日本が「成長しない国」に転落した根本原因   >柴田 昌治 - 8 時間前   

(略) >なぜ日本人の給料は上がらないのか。  >多くの日本企業の変革を支援してきた柴田昌治さんは「日本人は、会社に忠義を尽くすことで高度経済成長を支えてきた。 >しかし今は、その『まじめで勤勉』な性質が日本経済の停滞を生んでいる」という――。  

 

そうですね。日本人は意思がないので自ら動きださない。そして、思考停止をしているのでおとなしい。

 

>※本稿は、柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。  >努力が生産性の伸びにほとんど結びついていない   >他の競合国がこの数十年の間に急速に生産性を伸ばしている中で、日本も懸命の努力は続けているのですが、その努力がバブル崩壊後の生産性の伸びにはほとんど結びついてはいない、という厳しい現実があります。  >生産性とは、投入した資源(労働など)に対する創出した「付加価値」の割合です。 >より少ない資源からより多くの付加価値が得られるほど、より生産性が高いという関係になります。  >生産性を高めるのは、豊かな社会を創り上げるためであり、そのためには無駄な「動き」を減らし、価値を生み出す「働き」の部分を増やすことが必要なのです。  >しかし、約30年前のバブル崩壊以降、日本の給料はまったく上がらず、世界の水準から取り残されてきている、という事実があります。  

 

働けど働けど我が暮らし楽にならざり、、、、、 。 (石川啄木) 

 

>今、そのことがようやく問題だと認識され始めています。  >努力は必死に続けているにもかかわらず、給料の水準は伸びていない。  >この厳しい現実は、努力の方向性が間違っていることを示しています。   

 

そうですね。我々は無駄な努力をしていますね。      

 

>その前提にあるのは、高度経済成長期以来、日本の得意だった経済モデルが通用しなくなってしまったことです。 >すなわち、日本の代わりを圧倒的に安い人件費でやってしまう国々が、一瞬のうちに世界市場を席巻してしまったのです。 >従来通りの日本的モデルでは、成り立たない時代になったことが明白になっています。   

 

我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話しは聞いたことが無いですね。   

 

>一方、世界では、米国を中心にデジタル化が急速に進んでいきました。 >日本も相応の努力はしているのですが、結果として一歩も二歩も後れを取っています。 >確かに、個別に見れば素晴らしい結果も残してはいるのですが、残念なことに全体として見れば、新しい価値を生み出せていないのが日本の実態なのです。  >今、私たちにいちばん必要とされているのが「創造性」です。   

 

そうですね。創造力は非現実 (考え) の内容を現実 (事実) の内容として実現する能力ですね。   

 

>しかし、それが当たり前になっていないところにこそ、問題があるのです。 >なぜ創造性というものが当たり前になっていないのか。 >それは、みんなの力を合わせてものづくりに励む、という経済の高度成長を支えてきた旧来の考え方ややり方、いうなれば、ある種の文化が今もそのまま残っているところに問題が潜んでいます。   

 

そうですね。創造性は個性的ですね。わが国にも個人主義の理解が必要ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。            

 

>「まじめで勤勉」が日本経済を停滞させている  >日本人はまじめで勤勉です。 >この性格は経済の高度成長には間違いなく大きく寄与してきました。 >しかし、そこに問題が隠されている、ということです。  >つまり、「日本経済の高度成長を支えてきた、日本人が持つ職務に忠実な勤勉さこそが、今の停滞の主因になっている」というのが、約30年にわたって日本企業の変革の現場に身を置いてきた私がたどり着いた結論なのです。 >では、この「職務に忠実な勤勉さ」とは、どのような中身なのでしょうか。  >詳しく見ていきましょう。   

 

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。   

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、受け売り・後追いの後追いの専門家になりますね。受け売り・後追いの人は指導者としては適当でない。彼らは思考停止をしていますからね。    

 

>まだ記憶されている方も多いと思いますが、2017年2月から2018年3月にかけて、学校法人森友学園問題が日本中を騒がせました。 >中でも衆議院予算委員会等で、財務省の佐川宣寿(のぶひさ)理財局長(当時)が重ねた答弁は、私たちの記憶に何かおさまりの悪い感覚で残っています。 >その答弁は、「交渉や面会の記録は速やかに破棄した」「電子データは短期間で自動的に消去されて、復元できないようなシステムになっている」などと、当時の政権を擁護する姿勢で終始一貫していました。  >しかし、佐川氏のそうした言動に対して、たいていの人は彼が実際にあったことをそのまま正直に言っているとは思っていないのではないでしょうか。  

 

そうですね。彼は拒否反応の一点張りで貫くといった感じですね。      

 

>「このようにふるまうべき」という信念が見えた   >ただ、ここで私が問題にしたいのは、佐川氏の言っていることが事実に即しているかどうか、ではなく、彼が取った行動が彼なりの「規範を守り抜く」という信念に基づいていたように見えた、という点です。  

 

くだらない規範があるのですね。   

 

>佐川氏の答弁する姿勢に関して言えば、多少苦しげではありましたが、余計な迷いは見えませんでした。  >もし本当に悪いと思っているのなら、首は垂れるものです。 >しかし、首を垂れることなく堂々としていた。  >つまり、佐川氏には、「国家公務員たるものこのようにふるまうべきだ」という彼なりの信念があったということです。   

 

そうですね。日本人の信念というか ‘意地・根性・大和魂’ の成れの果てですね。   

 

>彼の心のうちは想像するしかありませんが、「ことを荒立てて属している組織に混乱を起こすことよりも、穏便に済ますことのほうが最終的には日本のため、日本人のためだ」と考えていたのかもしれません。

 

日本人社会の膿を出し切る考え方はないのですね。    

 

>このときの佐川氏は、私が日本に停滞をもたらしていると考える「職務に忠実で勤勉な日本人」の象徴のような存在です。 >彼のことを、お上に仕える「現代の武士」と呼んでもよいのではないか、とも考えています。   

 

そうですね。彼は義理 (序列関係から生じる義務) を果たした日本人ということでしょうね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。 

 

>組織が危うい状況になったとき、日本人はどうするか   >詳しくは『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)で解説していますが、私たちの組織人としての勤勉なふるまいは、武士の信条である「主君に対する忠義を尽くす」ことからすべてが始まっています。  >主君との関係性において忠義を尽くすことで、自らの「拠り所」(居場所)をつくっていたのが武士でした。 >そして、そのような在り方は、私たち日本人の多くが会社に対して持っている姿勢にも通じるところがあるように思います。    

 

そうですね。彼の姿勢は序列メンタリティに導かれての勤勉さですね。      

 

>会社という存在がまさに自らの「拠り所」だということです。  

 

日本人の会社は序列社会で出来ていますからね。   

 

>そのような傾向は、伝統のある規模の大きな会社や、日本の中心に位置する会社ほど強く残っています。 >たとえば、もし会社に重大なコンプライアンス(法令遵守)上の問題が生じて、自分がどう動くかでその問題が世間の目にさらされるかどうかが決まる、という立場に置かれたならどうでしょう。 >出世街道を順調に歩んでいる人ほど、「組織を守る」という規範を踏み外さないことが会社員としての大前提になっていることが多く、佐川氏と同じような行動を取る人がいたとしても不思議ではありません。 >実際、似たようなことは企業の中でも起こっています。  

 

そうですね。大日本帝国という巨大序列組織を守るために多くの人達が命を落としましたね。人々は ‘天皇陛下の御為に、、、、、’ と言った。   

 

>善悪よりも「組織を守る」ことが優先される   >忘れてはならないのは、置かれている前提を問い直さず、どうやるかしか考えない姿勢は歴史由来であり、ある種の社会規範としてあまりにも深く根付いているために、誰もがそのことがもたらす意味の大きさに無自覚である、という点です。   

 

そうですね。日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。自分自身の考えの無い人には信用も得られない。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)        

 

>まさか自分が思考停止に陥っているなどとは考えたこともない、ということが往々にして起こりがちなのです。 >少し前のデータですが、日本生産性本部が2018年度まで行なっていた「新入社員春の意識調査」の中に、「上司から会社のためにはなるが、自分の良心に反する手段で仕事を進めるように指示されました。  >このときあなたは……」という問いがありました。 >これに対し、おおよそ4割程度が「指示の通り行動する」と回答しています。 >過去最大だった2016年度にいたっては45.2%です。>そして、「わからない」という回答が約半数、「指示に従わない」が1割程度というのがおおむねの傾向です。  >こうしたことを見ても、善悪はともかく、自分が属する組織を守るという姿勢を優先するのは決して例外的な話ではないということです。   

 

そうですね。序列人間はあくまでも序列を護りますね。だから、信用がない。         

 

>出世頭のエリートほど思考停止に陥りやすい   >今の日本の主要な舞台で活躍している人たち、特に順調に出世街道を歩いている、もしくは歩いてきたような組織人たちは総じて、まじめで勤勉であればあるほど、上司が言っていること、先輩が言っていることがそのまま規範になり、どうさばくかしか考えない思考停止に陥っているのです。 >日本人は、勤勉で粘り強く、結束力は世界一でありながらも、こうした「思考停止」に陥りやすいという“特異性”を持っています。  

 

そうですね。言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>それは、「運命として与えられた規範を耐え忍ぶ姿勢」にどこか親近感を持ち、それを率先垂範することを美徳とする、という一種の「勤勉美学」が組織の中に息づいている、ということでもあります。  

 

そうですね。それは浪花節調ですね。    

 

>だからこそ、組織人としての規範から外れる行動を選ぶことは、日本人にとってハードルの高い課題になってしまうのです。  

 

‘恥ずかしながら帰って参りました’ と横井庄一さんは言った。   

 

>傍観者としてなら、評論めいた批判を口にしやすいのですが、いざ自分が同じ立場になったとき、まわりを取り巻く環境のことなどを踏まえつつ、何ができるのか。 >自分のすることにどういう意味が生じるのか。  >大切なのは、そういう状況に置かれたとき、自分も何も考えずに規範にただ沿ってしまうという思考停止に陥りがちである、という自覚をまずは持つことです。   

 

そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

>「思考停止」とはどういうことなのか。  >自分、および自分のまわりでどのような影響、意味を持っているものなのか。 >それを本書で一緒に考えていきたいと思います。  

 

思考停止はノンポリ・政治音痴の国民を作り出しますね。わが国において選挙の効力を台無しにしていますね。   

 

>---------- 柴田 昌治(しばた・まさはる) スコラ・コンサルト創業者 30年にわたる日本企業の風土・体質改革の現場経験の中から、タテマエ優先の調整文化がもたらす社員の思考と行動の縛りを緩和し、変化・成長する人の創造性によって組織を進化させる方法論〈プロセスデザイン〉を結実させてきた。   

>近著に『日本的「勤勉」のワナ まじめに働いてもなぜ報われないのか』(朝日新書)がある。    

>----------    

 

 

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閲覧数355 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/06/29 10:05
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