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2022年07月29日(金) 

 

>JBpress   >「統治崩壊」でも勝つ不思議、なぜ日本人は自民党に票を入れ続けるのか?   > 白井 聡 2022/07/29 06:00  

> 2012年の総選挙で安倍晋三氏率いる自民党が大勝を収めて以来、自公連立政権がすべての国政選挙で勝ち続けている。 >政治学者の白井聡氏は「この体制の統治パフォーマンスは決して褒められたものではない、むしろ統治の崩壊とも言うべきひどい水準にあるのに、なぜ退場させられないのか?」と疑問を呈し、その最大の理由は国民の「無知」のせいではないかと指摘する。  

 

そうでしょうね。日本人は政治音痴ですからね。   

 

>日本の有権者は、なぜ自民党に票を入れ続けるのだろうか。(JBpress) >(*)本稿は『長期腐敗体制』(白井聡著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。   

>維持されてきた「2012年体制」  > 今から10年前の2012年の年末に衆議院解散選挙があり、安倍晋三氏率いる自民党が大勝を収め、野田佳彦氏を首班としていた与党民主党は下野しました。  >2009年の総選挙によって成立した民主党政権は、ここに終わりを迎えました。 > 周知のように、それ以降、自公連立政権がすべての国政選挙で勝ち続け、政権交代が起こる気配は、まったくなくなっています。   

 

そうですね。   

 

> 安倍・菅・岸田を首班として続いてきた「2012年体制」。 >なぜ、この体制が数々の失策と腐敗にもかかわらず維持されてきたのか?  > それは野党が弱いからだとか、小選挙区制度が良くないからだといった理由づけがしばしばなされますが、私は小手先の理由づけにすぎないと思います。 >理由はどうあれ、自公政権は国政選挙をやるたびに、相対的に最多得票を取り続けてきました。   

>ですから、なぜ維持され続けたのかという問いに対する答えは単純で、要するに「多くの国民によって支持されてきたから」と言うほかありません。 > この国民の選択の堅固さは、コロナ禍の下での、緊急事態宣言発令下での、医療崩壊の状況の下でのオリンピック開催が強行された直後の2021年の総選挙でも、今回の参議院選挙でも証明されました。 >このような選択をする社会とはどういうものなのか。   

 

日本人には世界観がない。だから、選択する社会もきっと想定外になっているのでしょう。   

 

>各政党の政策をロクに見ていない有権者  > 2021年12月に公表された、ある調査結果を報告する記事が話題になりました。 >その調査とは、アメリカの大学で教鞭をとる堀内勇作氏らのチームが、「コンジョイント分析」という手法を用いて実施した実験的調査です。 >それは、日本の有権者が諸政党の提示する政策をどう評価しているかと、その評価と投票行動がどう関連しているのか、を検証するものでした(「マーケティング視点の政治学――なぜ自民党は勝ち続けるのか」『日経ビジネス』2021年12月27日号)。   

 

マーケティング (marketing) というのは、宣伝広告・輸送・保管・販売などの商品の流通に関する活動全般のことですね。  

 

> この調査の実施方法の手順は次のようなものです。 >すなわち、政策を「コロナ対策」「外交・安全保障」「経済政策」「原発・エネルギー」「多様性・共生社会」など5つの分野に分け、各分野に各党が2021年総選挙で掲げた政策をランダムに割り振り、架空の政党の政策一覧表を作ります。 >そのようにして出来上がった架空の党の政策一覧表を2つ並べ、「どちらの党を支持しますか」と被験者に問うて、選択してもらうというものです。  > これを繰り返すことによって、政党名を抜きにして「どんな政策が支持されているのか、支持されていないのか」が明らかになるわけです。

 

興味をそそる調査ですね。     

 

> この調査が明らかにしたのは、自民党の政策は大して支持されていない、というよりもむしろ、現在国会に議席を持つ国政政党のうちでかなり不人気ですらある、ということでした。  >とりわけ、原発・エネルギー政策や多様性・共生社会などの政策分野では、最低の数字をマークしました。 >逆に、2021年総選挙で議席を減らした共産党の経済政策は、きわめて高い支持を受けています。 > この結果は、私を含む政治学者たちの常識を粉々に打ち砕くものです。   

 

‘事実は常識よりも奇なり’ ですか。   

 

>有権者は、どのような判断基準により投票するのか。 >候補者への漠然とした親近感や知人に投票を頼まれたなど、「有権者は合理的な判断により投票するものである」という民主主義の原則からすれば外れる事象はあるものの、有権者はおおむね政策を基準として投票先を決めているはずだ。 >そのような、政治学者が想定する常識的な前提は、現実と大きく乖離していることが明らかになりました。  > 早い話が、日本の多くの有権者は各政党がどんな政策を掲げているのかロクに見ていない、ということをこの調査は明らかにしました。  

 

驚くべき残念な結果ですね。    

 

>ただ何となく自民党に入れている   

> そして、自民党の政策は支持されていないのに、なぜ選挙で勝つのでしょうか。 > 堀内氏らのグループは、もう1つの調査を実施しています。 >それは、先に説明した方法でつくられた、すなわちランダムにつくられた(言い換えれば、まったく出鱈目につくられた)政策パッケージの一方を「自民党の政策」として提示し、先ほどと同じように、もう1つの架空の党の政策一覧表と並べ、どちらを支持するか選ばせたのです。 > こちらの調査の結果もなかなかに衝撃的なものでした。 >それによると、どの分野のどんな政策でも、「自民党の政策」として提示されると、大幅に支持が増えたのです。 >日米安保条約を廃止するという、きわめて人気の低い共産党の外交・安全保障政策でさえも、「自民党の政策」として提示されると、過半数の被験者から肯定的な評価を得ました。  > 自民党の政策が支持を受けていないのに選挙をやれば勝つことの理由が、ここから見えてきます。  

 

そうですね。ネームバリューの効果ですね。  

 

>政党の掲げる政策をほとんどロクに見ておらず、ただ何となく自民党に入れている有権者がかなり多くいる、あるいはそうした有権者が標準的な日本の有権者ではないのか、ということです。 >思考停止の選挙  > これほどの政治的無知が最近始まったのか、それとも昔から存在しているのかについては、何とも言えません。   

 

政治的無知は昔からわが国に存在していたのでしょうね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>ただ、はっきりしているのは、有権者の大半がこのように思考停止しているのであれば、そんなところで選挙などやっても無意味である、ということです。   

 

世界観を持つ日本人を少しずつ増やすしかありませんね。千里の道も一歩より始まる。     

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。        

 

>これはもう、野党の実力がどうだとか政策の打ち出し方がどうだとか以前の問題です。  

 

そうですね。   

 

>「いままでは自民党、これからも自民党」という観念に凝り固まった有権者が多数存在しており、そうした「政権担当能力は自民党にしかない」という、コロナ禍によっても完全に根拠なしと証明されたはずのイメージは、ここ10年余りの間にかえってますます強固になったと考えられます。   

 

我が国は序列社会の国ですからね。序列人間は義理を果たします。義理とは個人的な序列関係から生じる義務の事です。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。  

 

 

 

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閲覧数15 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/07/29 21:40
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