藤野英人氏 |
>「勉強しない社会人が多いのは、日本にとって由々しき問題」とカリスマ投資家が警鐘を鳴らすワケ >Finasee の意見 - 昨日 22:15 (略) >※本稿は藤野英人著『14歳の自分に伝えたい「お金の話」』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。 >勉強を〝思いっ切り楽しむ〟コツ >人生を長いスパンでとらえると、14歳の君は「勉強をする期間」を生きていると言えますね。 >日本では中学校卒業までを義務教育とし、その後に高校、大学と進学して、20代前半で社会に出るのが一般的なコースだと考えられています。 >では、学生生活が終わると、「勉強をする期間」も終わるのでしょうか? >実は、大学受験までは熱心に勉強していたのに、大学に入った途端に勉強しなくなり、社会に出てますます勉強から遠ざかってしまったという人は多い。
そうですね。勉強は方便ですね。
>勉強は誰かから強制されるからするものだという考えが染み付いているから、〝先生〟という存在がいなくなった途端、勉強をしなくなる。
そうですね。日本人は指示待ち人間ですからね。
>すごく残念でもったいないことだし、日本の将来にとって由々しき問題だと心配しています。
そうですね。すごくもったいないことですね。
>そもそも、なぜ人は勉強をするのでしょうか? >学校のテストがあるから? >いい学校や会社に入るため? >僕はそのどちらでもないと思います。 >人が勉強するのは、シンプルに「楽しいから」ではないでしょうか。 >本来、勉強は〝娯楽〟です。
ギリシャ語の哲学 philosophia は (philos 愛好する + Sophia 知 -> 学問愛) ですね。
>知らないことを知って、わからないことがわかるようになる。 >他の生物には与えられなかった発達した脳を持つ、人間だけに与えられた娯楽なのです。
そうですね。
>ではなぜ、誰もが楽しめるエンターテインメントであるはずの勉強を、嫌いになってしまう人が多いのでしょうか? >それは過剰に「平均」「一律」を強制する日本の教育の考え方が原因ではないかと思います。
考えの内容は個人個人で違いますからね。
>国語・数学・英語・社会・理科……、すべての教科でまんべんなくいい成績を取れる生徒が「優秀」と呼ばれる学校教育では、好きな科目を伸ばすよりも、苦手な科目を克服することが重視されます。 >すると、勉強の多くの時間を「苦手克服」というあまり楽しくないことに費やすので、〝勉強=苦痛、忍耐〟のイメージが定着してしまいます。
そうですね。
>最初は面白がっていたはずの好きで得意な科目の勉強に没頭できないから、つまらなく感じるようになるのです。 >この構造は、行き過ぎた食育とも共通します。 >「好き嫌いをしてはいけない」「全部食べなさい」「栄養バランスを考えて」。 >もちろん食べ物に対する感謝や健康管理は大切ですが、食べることは本来は人間にとって本能が喜ぶ楽しみだったはず。 >「食べたいものを好きなだけ食べる」という体験も認めて、楽しみとして共有する。 >たまにはそんな機会もつくるほうが、心がのびのびと育つのではないか? と僕は考えます。 >同じことが勉強にも言えるのです。 >とはいえ、学校教育がすぐに変わるのは難しいでしょうから、今の環境の中でできる、勉強の楽しさを積極的に見つけていくことをおすすめします。 >ちなみに、僕の体験を告白すると、学生の頃、学校の授業は本当につまらないと思っていました(君はもちろんよく知っているよね?)。 >でも、僕が学校に行かないと親も困っちゃうだろうなあと思って、とりあえず学校には行っていました。 >でも、授業はほとんど聞かずに、自分で持ち込んだ本で勝手に自習をしていました。 >教室の雰囲気を乱さないように、一応は教科書とノートは開いているんだけど、持ち込んだ本もこっそり開いて読んでいました。
それは若き日の苦労話ですね。
>勉強そのものは好きだったし、成績もよかったけれど、先生にとって真面目な生徒とは言えなかったと思います。 >面白い話をしてくれる先生の話はよく聞いていたけれど、つまらない先生の授業は自主的な勉強に徹していました。 >それに、いくら相手が先生であっても、納得できないことがあれば、かなり反発していました。
考えの内容は人によりまちまちですからね。
>あるとき、学校で突然「シャープペンシル禁止」というルールができました。 >理由は「授業中に分解する生徒がいて、授業に集中できていないから」。 >おかしいと思った僕はハッキリと先生に言ってみた。 >「面白い授業をしている先生の前では、誰もシャーペンを分解していません。 >分解したくなるようなつまらない授業をするからいけないんじゃないですか」と。 >その後、僕は職員室に呼び出されて、「反省しなさい」と怒られました。 >でも、なぜ反省しないといけないかわからなかったから謝りたくありませんでした。
‘雉も鳴かずば撃たれまい’ ですね。
>すると、「立っていなさい」と言われ、しばらくするとまた「そろそろ反省したか?」と聞かれます。 >僕は全然反省していなかったんだけど、毎週楽しみにしているピアノレッスンの時間が迫っていたから、「はい、反省しました」と言って解放されました。
‘噓も方便’ ですね。
>大人と子どもの中間にいる君たちは、宙ぶらりんな存在だからこその苛立ちもたくさんあるはずです。 >子どもだって、大人の世界とやりくりするのは結構気を使うものなのだということが、自分の経験からもよくわかる。 >君がほどよく折り合いをつけながら、あまり無理に自分を曲げることなく、しなやかにやり過ごしていくことを願っています。
英米人は自分の頭で考える。それから古今東西の文献を調べて自分の考えに似たものを選び出す。そして自他の優劣を論ずる。何処にも書いて無ければ、それは自己の新発見として論文要旨に書き入れる。かくして学問の進歩に貢献する。 日本人は思考を停止している。だから、日本人はもっぱら他人の考えを記憶する。自分の考えがないから、他人の考えを覚えてもきりがない。他人同士の比較ばかりをしていても学問の進歩にも貢献しない。かくして学問をあきらめる。 日本人には自己が無い。だから、つかみどころがない。そして、信頼できない。 .
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