>東京新聞 ><書評>『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎 著 >昨日 7:00 そうですね。 > しかし、本書を読むと、こんなあたりまえの話が、大学では通用しないことがわかる。 大学は ‘あるべき姿’ (哲学) を追及すべきですね。大学で処世術 (損得勘定) の延長をしていては、大学の存在意義がありませんね。大学の外に居ても同じこと。 >大学は政治の世界でも商売の場でもない。 そうですね。大学は学問の世界ですね。あるべき姿の追及が使命ですね。 > 大学教員のモラル低下もいっこうにやまない。 日本人には意思がない。だから、加害者意識がなくて、被害者意識ばかりがある。何もかも他人事であって、強力な反省なども起こらない。優柔不断・意志薄弱の人間だけが存在する。 >本書によれば、これだけ社会で問われているセクハラやパワハラがいまだ横行し、学生の将来をつぶしている。 それはこうした問題が他人事だからでしょう。 >経営者、教員をチェックするシステムがないからだ。 大学人がそれをチェックしなくてはなりませんね。大学人の責任である。自然放置はだめである。 >トップに意見できない。 そうですね。上意下達ですからね。序列社会の欠陥症状ですね。礼儀 (序列作法) 正しい日本人の品位を下げる盲点ともいうべきところですね。 そうですね。日本人の馴れ合いが全ての禍の基ですね。 >いま一度、学生目線で大学教育を見直してほしい。 そうですね。大学人の自覚の問題ですね。 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣) 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。 国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 >(ちくま新書・990円)
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