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2023年07月24日(月) 

 

>Merkmal   >「高齢者を敬え」「常に空けろ」 ネットの“優先席”論争はなぜ異常なほど白熱するのか?   >島崎敢(心理学者) の意見 • 14 時間前   

>盛り上がる「優先席」記事   

>「優先席に関する記事を書いてくれないか」と編集部に頼まれ、いつものように安請け合いをして、筆者(島崎敢、心理学者)は少し後悔している。   

>というのも、優先席の記事は非常に多く、既に議論が出尽くしているように見えるからだ。   

> それでも優先席の記事をリクエストされたのは、優先席に関する記事はアクセス数が多いからだそうだ。   

>なるほど確かに、どの記事もコメント欄では議論が白熱しており、大変なにぎわいだ。   

> そこで、今回は少し角度を変えて、優先席に関する記事が    >・なぜ盛り上がるのか   >・コメント欄で繰り広げられる議論にどのような特徴があるのか   >心理学的な観点から見てみよう。   

> 優先席は公共輸送機関を利用する人にとって身近な話題だ。   

>普段から優先席を譲ったり譲られたりすることはあるだろうし、優先席には座らないと決めている人でも、優先席を巡るやり取りを見ていて、思うところがあるだろう。   

> しかし、実際に公共輸送機関のなかで「思うところ」を表現する心理的ハードルは高い。   

>一方、コメント欄であれば、優先席を陣取って譲らない若者に「譲ってくれ」といえない人も、優先席の前にこれ見よがしに立つ高齢者に「アピールするな」といえない人も、気楽に自分の意見を表明できる。   

> ところが、優先席の運用は人々の譲り合いの気持ちに頼っていて、明確なルールは定められていない。   

>したがって、考え方も人によってまちまちである。   

>だから気楽に表明してみた自分の意見に対して反対の意見が出やすい。   

> 優先席に関する記事のコメント欄で押される「Goodボタン」と「Badボタン」の数を見ると、他の記事に比べて双方が拮抗(きっこう)していることに気づかされる。   

>それだけ意見が割れているのだ。   

> 例えば、空いている優先席を空けておくべきか、それとも座ってよいかという議論を見ても、「必要とする人の側から「譲ってくれ」とはいいづらいだろうし、譲ろうにも外見から必要性を判断できないこともあるので、座らずに空けておくべきだ」と主張する人がいる。   

>一方で「混雑時に座らないと余計なスペースを取って迷惑だし、バスでは座らないと車内人身事故のリスクが上がるので空いていれば座るべきだ」と主張する人もいる。   

 

各自が自己判断で ‘座る・座らない’ を決めたらよいでしょう。それほど深刻な問題になるとも思えませんね。     

 

> 中立の立場から見ると、これらの主張はいずれも「ごもっとも」であり「必ずこうだ」と決められるものではなく、両方の考え方を踏まえて、状況に応じた適切な判断をするべきことに見える。   

>しかし、自分は「必ずこうだ」と決めている人からしてみれば、反対の意見によって自分の意見を否定されたと感じてしまう。   

 

日本人には指示待ち人間が多いですからね。一義的に決めてもらわないと気がすまない人が多いのでしょうね。       

日本人が指示待ち人間になるのは思考を停止しているからですね。自己判断が効かないと社会が窮屈になりますね。   

 

> 自分の意見を否定されるのは、ストレスである。   

>私たちの心は、ストレスを感じると、ストレスから心を守るための「適応機制」という仕組みを働かせる。   

>適応機制にはさまざまな種類があるが、優先席に関するコメント欄(あるいは公共輸送機関の優先席付近)では主に   >・合理化   >・攻撃   >・投影 が起きているように見える。    

>「合理化」は、自分の主張の欠点を認めずに、社会的に認められそうな理由を探すことである。   

>優先席に関するコメントには「以前譲ったら「年寄り扱いするな」などといわれて嫌な思いをしたから譲らない」などの経験談が多く書き込まれている。   

>次も同じようなことが起きるとは限らないので、これを譲らない理由にするのは無理があるが、書いている本人は、自分の意見を否定して「譲れ」と主張する人たちに対して反論することで、心の安定を取り戻そうとしている。   

>相手を「頭が悪い」と罵る前に   

> 同じように「今の日本社会を作ったのは誰だと思っているんだ。高齢者を敬え」といった主張も「なぜ非正規雇用の貧しい若者が豊かな老人に席を譲らなければならないのだ」   といった主張も、目の前の人とはほとんど無関係に思えるが、ひとまずこのような主張を表明する、あるいは自分にいい聞かせることで、うすうす「間違っているかもしれない」と不安になっている自分の意見を正当化して、心の安定を取り戻せる。   

> 2番目の「攻撃」は、文字通り相手に対する攻撃である。   

>健常者は優先席には座るべきではないと主張する人に「「優先」という日本語がわからない頭の悪い人だ」などとバカにするケースもあるし、優先席に座る健常者に「優先席に座るな」「駄目だこいつは」などと批判するケースもある。   

>車内で優先席を巡った怒鳴り合いや暴行事件が発生するのも攻撃の典型例である。   

> 3番目の「投影」は相手に対する自分のネガティブな感情を認めずに、その感情を「相手が自分に対して持っている」と思い込むことである。   

> 投影がコメント欄に直接書かれることは少ないが、感情的な書き込みの応報がエスカレートするのは、相手に対して攻撃的になっているのは自分なのに、相手が自分を攻撃していると思い込んでいるからだろう。    

> 適応機制の多くは、半ば無意識的に働いてしまう。   

>そして、自分の心を守るためには効果を発揮するが、根本的な解決にはならないので、多くの場合、いい争いの発生や孤立など、社会的にネガティブな結果をもたらしてしまう。   

> そして皮肉にも、このエネルギーが優先席に関する記事のアクセスを増やしたり、コメント欄をにぎわわせたりしている原動力になっているのかもしれない。   

>想像力と優しさが支える「優先席」   

> 公共輸送機関は、・さまざまな事情を抱えた・さまざまな立場の人が利用する。   

>優先席はそういう多様な人の事情や立場に対する想像力と優しさによって成り立つ仕組みである。   

>それなのに、優先席問題が感情的なののしり合いに発展するのは残念なことだ。   

 

本当に残念なことですね。礼儀正しい日本人のいがみ合いですね。日常の努力が裏目に出ています。     

 

> 争いを防ぐためには、適応機制の仕組みを知り、自分や他者の適応機制を意識下に置く必要がある。

>・自分は自分の心を守るために合理化や攻撃をしていないか   >・自分の攻撃的な感情を相手のものと思っていないか   >・相手の行動は適応機制ではないか   >自問自答してみるとよいだろう。

> 一方、優先席問題に関して、建設的な議論が盛り上がるのはよいことである。   

>自分の意見と異なる多様な意見を知ることで、異なる立場の人に対する想像力を持つことができる。   

 

そうですね。万機公論に決すべし。   

 

>そして、それは自分がよりよい振る舞いをするにはどうすればよいか、ひいては、社会や制度をどうしていくべきかの参考になる。   

 

そうですね。   

 

> コメント欄でも公共輸送機関のなかでも、争いになりそうなときは、感情的な書き込みや行動をする前に、まずは「一歩引いた位置」から、双方の心のなかで起きている現象や、相手の事情、立場などを考えてみるとよいのではないだろうか。   

 

そうですね。    

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数159 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/07/24 00:08
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