>東京新聞 ><記者だより>「かわいそう」ではなく >6 時間前 > 「当事者が『かわいそうだから』だけではなく、差別自体がおかしいことだから、NOと言おう」 > 6月に入管難民法改正を受けて開かれたイベントで、入管や外国人差別の問題に取り組む学生団体「Moving Beyond Hate」代表のトミー長谷川さん(23)が訴えた。 > 7歳から高校生まで英国で過ごし、大学進学で日本に戻ると、差別的な言動に周囲が無関心だったり、見て見ぬふりをしたりすることに驚いたという。 >英国でも属性による差別はあったが、周囲が「ダメだ」「おかしい」と介入していた。
人間には ’あるべき姿’ が必要ですね。それがないと ‘つかみどころのない人間’ になってしまいます。信頼されませんね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
> 当事者の境遇をよく知らなくても、「差別は許されない」という社会の合意があれば被害は軽減できる。
そうですね。
>「当事者のストーリーよりも、不正義への怒りを出発点に差別を止めよう」との思いで活動してきた。 > 当事者が「かわいそう」というストーリーは共感を呼ぶ一方で、そのイメージから外れた場合には容易に非難も生む。
‘可哀そう’ は歌詠みの発想ですね。力が入っていない。事の次第・成り行きを述べている。
>当事者が自らについて語る負担も甚大だ。 >その負担をかけないためにも、周囲が「差別はNO」と行動する。
‘差別はNO’ は哲学 (考え) ですね。政治には政治哲学が必要ですね。歌詠みはノンポリ・政治音痴なことが多いです。
>差別禁止の法整備を含め、社会の合意が必要だと改めて思う。
そうですね。法整備が必要ですね。社会の合意は歌詠み手法では得られませんね。 日本人には意思 (will) が無くて恣意 (self-will) がある。 意思は文の内容になるが恣意 (私意・我儘・身勝手) は文にならず意味もない。 日本人には討論 (理詰めの議論) が無くて談合 (腹の探り合い) がある。 意思疎通 (相互理解) が無くて恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。 意思決定 (理性判断) が無くて恣意決定 (盲目の判断) がある。 だから、極めて危険な政治が行われている。
>(森田真奈子)
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