>「本土決戦」への準備…“旧海軍地下壕”を高校生が見学 78年前の歴史「後輩たちにも伝えたい」 >NBS長野放送 によるストーリー • >5 時間 >長野市安茂里に残る旧海軍の地下壕を高校生が見学しました。 >生徒たちは、78年前の地域の歴史を後輩たちにも伝えていきたいと話していました。 >長野市安茂里の「大本営海軍部壕」は1945年に海軍が着工し、100メートルほど掘ったところで終戦を迎えました。 >善光寺平の「本土決戦」準備の一端を今に伝えています。
一億総玉砕はしなくて済んだのですね。幸運でしたね。
>昭和の安茂里を語り継ぐ会: >「通信部隊がこの中に入って、陸軍と手を組んで徹底防戦をしようともくろんでいたのではないか」 >11日は長野西高校中条校の1年生19人が総合的な探求の時間で壕を訪れ、地元の「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の説明を受けました。 >昭和の安茂里を語り継ぐ会: >「戦争は絶対しないように、こういう悲惨なことがあった。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。 太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。 人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
>兵隊さんが来て穴を掘ったと、そういうことは非常に大変ですが、そういうことがあったことを覚えておいてください」
好きで好きで大好きで死ぬほど好きな戦争でも原爆投下にゃ勝てやせぬ 泣いて崩れた敗戦日。
>生徒たちは壕にたまった砂をシャベルやバケツを使ってかき出す作業も体験しました。 >見学した生徒: >「まだこの(崩落した所より)奥にたくさん続いているのだなと、初めて知ったのですごくびっくりした」 >「私たちのまとめた用紙とか資料を見てもらったりして(後輩に)学習してもらえたらな」 >長野西高校中条校では、来年は松代地区の大本営地下壕も見学する予定です。
ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。 「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー) ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)
.
|