>ハフポスト日本版 >【「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」 科学誌「ネイチャー」のウェブ記事が指摘。国際競争力が落ちた要因は?】 >ハフポスト日本版によるストーリー・20時間 >「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」 >イギリスの科学誌『ネイチャー』の公式ウェブサイトは10月25日(現地時間)、そう題した記事を掲載した。 >記事は文部科学省が同日に発表した報告書をもとに、「(日本には)世界最大級の研究コミュニティがあるにもかかわらず、世界レベルの研究への貢献は減少し続けている」と指摘。
人材の活用不全ですね。
>日本の研究環境に詳しい有識者が、資金面などに警鐘を鳴らすコメントを紹介した。 >『ネイチャー』公式ウェブサイトが掲載した、「日本の研究はもはや世界トップクラスではない」と指摘する記事 >文科省の報告書によれば、日本の研究者数は中国、米国に次いで世界第3位の多さ。 >ただ、「最も引用された論文」の上位10%に占める日本の研究論文の世界シェアは、2008〜2010年の6%(3位)から2018〜2020年の2%(5位)に低下した。
残念なことですね。
>こうした結果を踏まえ、記事は「(日本で研究に従事する)労働力(の多さ)は、20年前と同じレベルのインパクトのある研究を生み出しているわけではない」と指摘した。 >記事は、文科省の報告書の執筆者の1人で、同省が所管する科学技術・学術政策研究所の伊神正貫氏(科学技術予測・政策基盤調査研究センター長)による、日本の研究環境についての見解を詳しく紹介している。 >伊神氏は「日本の現在の研究環境は、理想からはほど遠く、持続不可能だ」と指摘。 >その上で「日本の研究者の生産性が落ちたわけではないが、他国の研究環境はこの数十年で非常に改善された」と述べ、日本の研究環境を立て直す必要性を訴えた。 >文科省の報告書によると、大学の研究費は、過去20年間でアメリカとドイツでは約80%、フランスでは40%増えた。 >韓国では4倍、中国では10倍以上に増加。 >そんな中、日本では10%増にとどまる。
残念なことですね。
>日本の研究の競争力が低下した要因として、伊神氏はこうした研究資金面の差や、大学の研究者が研究に充てられる時間が減ったことなどを挙げている。 >博士課程の学生数が減少していることから、若手研究者の育成も課題だとしている。
我が国の大学入試の競争の方は相変わらず激しいようですね。日本人は序列社会の人間序列には目がないようですね。 こうした同次元で没個性の序列を争う入試はたぐいまれな個人の才能を評価する手段にはなりませんね。人材を見る着眼点が良くない。 難関出身者たちがわが国の研究行政を牛耳っていると個性の価値が高く評価されることはないでしょうね。これは日本病ですね。 個性の価値が評価されない社会では博士課程の学生数は減少するでしょうね。論文は個性の主張手段ですからね。
>〈取材・文=金春喜 @chu_ni_kim / ハフポスト日本版〉
わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。 我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。 わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気を伝えることにより満足している。 日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。 非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。 矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。
.
|