1,692万kW/2,005万kW (10/14 19:30)
84%
2023年12月15日(金) 

 

>プレジデントオンライン  >「指示待ち型は仕事ができない」は大間違い…大学教授が学生を主体的に変えるためにやったたった一つのこと   >稲垣栄洋によるストーリー   >・1時間   

>「指示待ち型」の人を変えるにはどうしたらいいのか。   

>静岡大学農学部教授の稲垣栄洋さんは「進学校出身の学生には『指示待ち型』が多い。   

>指示待ち型と呼ばれる人は一般的に優秀で、どんなに難しい指示であっても指示に従ってやり遂げる。   

>しかし、指示待ち型は、楽しくないので、彼らを主体的に動けるようにしてあげたいと考えていた」という――。   

>(第3回/全3回)   

>※本稿は、稲垣栄洋『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』(小学館)の一部を再編集したものです。   

>進学校出身の学生に多い「指示待ち型」   

>バイオリンが得意な満藤(まんどう)さんは、もともと、とても優秀な学生である。   

>しかし、ひとつだけ気になることがあった。   

>それは、彼女がやや「指示待ち型」であるということである。   

>とにかく、私の顔色をうかがい、私が何を考えているのかを察しようとする。   

>そして、私が期待するような「正解」を正しく導いてしまうのだ。   

>「満藤さんは、どう考えているのだろう?    

>満藤さんは、何をしたいのだろう?」と彼女の考えていることを察しようとしても、彼女は先回りして「私が考えていること」を察しては正解を出してしまう。   

>まるで出題者の意図を察知して答えを導き出す受験生だ。   

>じつは、進学校出身の学生には、「指示待ち型」が多い。   

>受験では、答えのある問題を解き続ける。   

>すべての問題に答えがあり、あらかじめ解き方がある。   

 

そうですね。そうでなければ採点者が困りますね。   

 

>そして、それを要領よくこなしていく子が優秀と褒められる。   

>おそらくは、それを繰り返しているうちに、否応(いやおう)なしに用意された答えを探す学生になってしまうのだろう。   

>「私の中に答えはないよ。   

>答えは満藤さんの中にあるのだから」   

>しつこくそう言っても、満藤さんは私の中に答えを探しに来る。   

>いかにして主体性を引き出すか   

>研究はわからないことを明らかにするという、ある意味で未知への挑戦である。   

>指導教員であっても答えを持っているわけではない。   

>指導教員と学生が共に、答えを探し求めなければならないのだ。   

>それが、研究である。   

 

そうですね。答えが無ければ、答えを作る。これが創造ですね。研究者の目指すところですね。         

 

>もちろん、研究だけではない。   

>世の中は「答えのない問題を自分で作り、答えのない問題を解く」その連続だ。   

>特に現代は、先のわからない時代と言われる。   

>学生たちも卒業した後は、誰も答えを知らない世界で生きていかなければならないのだ。   

>満藤さんは、研究もよくできるし、レポートを書かせれば文章もうまい。   

>おまけに英語も得意だ。   

>物足りないのは主体性だけである。   

>いかにして、彼女の主体性を引き出すかが、私が彼女に対して考えていることだった。   

>私は彼女を呼び出して、こう諭した。   

>「満藤さんは、もっと主体的にやらないといけないよ」   

>「ん?」   

>私はそう言いながら、「何かこの言葉、おかしくないか?」――と、自分で自分のことがおかしくなった。   

>だって、そうだろう。   

>何しろ「主体的にやりなさい」は、それ自体が指示である。   

>主体的にやりなさいと言われて、主体的になることは、もはや主体的ではない。   

>「ん???」   

>自主性や主体性って、いったい何なのだろう?   

 

‘自主性・主知性’ は自分の意思で行動することですね。   

 

>「主体的にやりなさい」は教育者として失格   

>私は考え直した。   

>本当は「主体的にやりなさい」と言った時点で、教育者として失格なのだ。   

>学生たちが、自らやりたくなるように仕向けなければいけないのだ。   

>私は彼女を呼び出して叱ったことを深く反省した。   

>「満藤さん、ごめんね。今、言ったこと全部忘れてくれる?」   

>満藤さんは、キョトンとした顔で不思議そうに帰って行った。   

>さすがの満藤さんも今回ばかりは、私の考えてることがわからなかったようだ。   

>しかし、心配はいらないものである。   

>あの一件で、満藤さんは「ライス先生の中身はポンコツで、アテにならない」という大切な真実に、やがて気がついたようだ。   

 

他人が教えてくれる内容はすでに知られている事ばかりですね。独創性の無い内容ですね。   

 

>そして、自分で考えて行動するようになったのである。   

 

自分の意思を表せば当事者・関係者となる。表さなければ傍観者にとどまる。      

 

>そのことに気がついてからの満藤さんの成長ぶりは、本当に目を見張るようだった。   

>先生をアテにせずに、研究を思うように進めて、最後には国際学会に先生を置いて出掛けていって、ひとりで発表をしてきた。   

>「先生がアテにならないって本当に大切だな」と、しみじみ思う。   

 

そうですね。他力本願・神頼みでは立つ瀬がありませんからね。   

 

>私はいかに「教えない先生」になったのか   

>思い出すのは、私の学生時代だ。   

>そもそも、私が雑草学を志したのも、先生が教えてくれなかったことがキッカケなのである。  

>私は、畳の原料となるイグサをポットで栽培していた。   

>ところが、ポットから、何となくイグサに似ているが、明らかにイグサではない植物が生えてきた。   

>つまりは、雑草である。   

>「先生、この雑草、イグサに似ているんですが何ですか?」   

>さっそく、指導教授に質問すると、教授はこう答えた。   

>「花が咲けば、図鑑で調べることができるから、花が咲くまで置いておきなさい」   

>おそらくは、指導教授はその雑草の名前がわからなかったのだろう。   

>もし、名前を知っていて、そう指示したのだとしたら、相当の名伯楽(めいはくらく)である。   

>かくして、私はその雑草を花が咲くまで置いておくことになった。   

>イグサがどのような成長をするかは、ものの本にくわしく書いてある。   

>隣に生えている雑草は、どのような成長を遂げて、どのような花を咲かせるのか、まったく予想がつかない。   

>私は雑草の観察に夢中になった。   

>そして、知らず知らず私は雑草に興味を持つようになったのである。   

 

‘好きこそ物の上手なれ’ ですね。   

 

>このとき生えていたイグサ科のコウガイゼキショウは、私にとって記念すべき雑草である。   

>もし、指導教授が「それはコウガイゼキショウというイグサ科の雑草だよ」と教えていたら、私はこの雑草をじっくり観察することはなかっただろう。   

>その名前を覚えることもなかったかも知れない。   

>おそらくは、その雑草を抜いてしまって、それでおしまいだったはずである。   

>先生が教えてくれなかったからこそ、私は雑草の研究者になった。   

>そして、私は「教えない先生」となったのである。   

 

学問をするには謙虚な態度が必要ですね。 

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)    [無知の知]  'I know that I know nothing'.    

 

(略)   

>---------- 稲垣 栄洋(いながき・ひでひろ) 静岡大学大学院教授 1968年静岡市生まれ。   

>岡山大学大学院農学研究科修了。   

>農学博士。   

>専攻は雑草生態学。   

>農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て、静岡大学大学院教授。   

>農業研究に携わる傍ら、雑草や昆虫など身近な生き物に関する著述や講演を行っている。   

>著書に、『植物はなぜ動かないのか』『雑草はなぜそこに生えているのか『イネという不思議な植物』『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書)、『身近な雑草の愉快な生きかた』『身近な野菜のなるほど観察録』『身近な虫たちの華麗な生きかた』『身近な野の草 日本のこころ』『身近な生きものの子育て奮闘記』(ちくま文庫)、『たたかう植物 仁義なき生存戦略』(ちくま新書)など。   

> ----------  

 

 

 

 

 

 

 

.

 

 

 

 


閲覧数158 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/12/15 14:23
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1214191