>NEWSポストセブン >【逆説の日本史】「苦戦を尊ぶ」がため無謀な戦争を好んで行うようになった帝国陸軍 >NEWSポストセブンによるストーリー >・11時間 > ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。 >近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その16」をお届けする(第1402回)。 > * * * (略) > じつは、いままで述べたことは青島要塞攻略戦とはなんの関係も無いこと、では無い。 >おそらく多くの読者は、この戦いの内容について詳しく知らなかったと思う。 >実際は「桶狭間の合戦」や「旅順要塞攻防戦」のように日本戦史のなかでも賞賛されるべき戦いであったのは、すでに述べたとおりだ。 > しかし、実際には日本人は乃木希典の名は知っていても神尾光臣の名は知らない。 >彼の戦略は日本には好意的で無かったアメリカは別として世界の賞賛を浴びたし、その後の日本軍も見習うべき模範的なものだった。 >しかし実際にはそうならず、神尾の名も忘れ去られた。 >だからこそ現在でもこの青島要塞攻略戦は大きく取り上げられない。 >なぜそうなのか、きわめて不思議な話ではないか。 >これは日本軍が、とくに陸軍が飯盒炊爨にこだわり兵站部門を蔑視したのと同じく大きな謎なのである。 > その謎について私の解答を言えば、「神尾のやり方では兵も将校も軍神になれない」からだろう。
向上心豊かな帝国軍人は軍神になりたかったのですね。
>神尾戦略のもっとも優れた点はなにかと言えば、「人的犠牲」つまり「戦死者を極力少なくした」ということだ。 >ただそのためには時間をかけて青島要塞を包囲する必要があったので、大雨の影響もあり総攻撃はかなり遅れた。 >それに対して「悠長だ」などという批判がこれ以降徐々に出てくる。 > この批判の意味がおわかりだろうか? >それを理解するには、その逆を考えてみればわかる。 >「悠長では無い攻め方」である。 >それは旅順要塞攻防戦において乃木希典大将が採用した強襲戦法ということになる。 >だがあのときは、バルチック艦隊が旅順艦隊と合流しないように一刻も早く旅順を落とす必要があった。 >だから強襲戦法を採らざるを得なかったのである。 >戦略的前提がまったく違う。 > 乃木希典が青島攻略戦の総司令官だったら、やはり神尾光臣と同じ作戦を採ったに違いない。 >しかし、結果としては強襲戦法を採らざるを得ず、旅順要塞攻防戦では多くの戦死者が出た。 >その死者の魂は「死して護国の鬼」となり、乃木大将命名の「爾霊山」(『逆説の日本史 第25巻 明治風雲編』参照)や靖国神社に祀られた。 >「軍人は戦闘で戦死しなければ軍神になれない」のである。 >「戦闘」とわざわざ断ったのは「兵站の途中で敵の攻撃を受けて死亡」というのとは違う、ということだ。 >もちろんこうした場合でも靖国神社には合祀されるはずだが、陸軍の考え方ではこれは「本物の軍神」では無い。
今日のわが国で難関出身者が幅を利かせているようなものですね。難関出身でなくては日本人の尊敬を集められない。
>「武士道」と同じく「大元帥陛下の臣の道」は「(戦闘で)死ぬことと見つけたり」であり、「戦闘では絶対に死ねない」輜重輸卒(兵站担当者)は真の軍人では無いからだ。 > 青島攻略戦は作戦がうまくいったからこそ、戦死者が少なく結果的に日露戦争における広瀬武夫のような軍神を出さずに済んだ。 >だが皮肉というか恐ろしいことにと言うべきか、それがゆえに神尾中将への評価は低かったのである。 >もちろん国民の評価も同じで、広瀬のような軍神が出た戦争は高く評価するが、有名な軍神の出なかった戦争は評価しないということにもなる。
軍神は神様、序列社会においては特に価値がありますね。
> しかし広瀬の戦死の状況を思い出していただけばわかるが、軍神というのは苦戦のときに生まれる。 >苦戦で無ければ、そもそも戦死者などめったに出ない。 >だが陸軍は「軍神をめざす」組織になってしまった。 >こういう傾向が続けば陸軍はいったいどういう組織になるか? > 戦死者が多数出てもかまわない、よく言えば苦戦を恐れない組織になる。 >その反面、戦死者は極力抑えるべきだという世界の常識が通用しなくなり、それがゆえに無謀な戦争(戦死者が多く予想されるから避けるべき戦争)を好んでするようになる。 >しかも自分たちこそ「戦死という究極の形」で最後まで天皇に忠義を尽くす「忠臣」だと考えるから、「そこまで忠義を尽くさない」つまり最初から戦死などしない政治家や外交官の言うことは聞かなくなる。 >そして、こういうときに批判能力を発揮し国家の行く末を修正するのがマスコミ報道機関の役目であるにもかかわらず、その代表である新聞も雑誌も「戦争を煽れば売れる」ので「軍隊応援団」に回ってしまい、この傾向はますます強化されてしまう。 > その一方で陸軍は本来身内であるべき兵站部門は仲間と認めないので、兵站部門には人材が集まらず結果的に補給が行き届かず、死ななくてもいい兵士が餓死するということにもなる。 >それは本来組織の欠陥として批判され改善されるべきなのだが、兵站部門への蔑視があるうえに「苦戦を尊ぶ」という傾向が強いため、一向に改善が進まないことにもなる。 >「苦戦で戦死してこそ名誉」 > ここで、一九三九年(昭和14)にレコードが発売された軍歌いや民間の軍国歌謡『父よ あなたは強かつた』(作詞・福田節)の一番と二番を見ていただきたい。 >〈一.父よ あなたは強かつた 兜も焦がす 炎熱を 敵の屍と 共に寝て 泥水すすり 草を噛み 荒れた山河を 幾千里 よくこそ 撃つてくださつた >二.夫よ あなたは強かつた 骨まで凍る 酷寒を 背も届かぬ クリークに 三日も浸って ゐたとやら 十日も食べずに ゐたとやら よくこそ 勝つてくださつた〉 > じつはこの歌詞は、レコード発売前年の一九三八年(昭和13)に『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』が合同で募集した「皇軍将士に感謝の歌」の懸賞募集の一等に当選した作品なのである。 >これより七年前の一九三一年(昭和6)には、朝日新聞は公募当選作品と称し、実際は社員が作詞した『満洲行進曲』を発表し慶應義塾大学の応援歌『若き血』を作曲した一流の作曲家堀内敬三に作曲を依頼。 >翌一九三二年(昭和7)にはレコードが発売され、全国的に大ヒットした。 > 内容は「満洲は日本の生命線(中国侵略と言われようとアメリカがなにを言おうと、絶対に死守しなければいけない)」というもので、まさに一九三一年に満洲事変を始めた陸軍にとっては絶好の応援歌になったことは間違い無い。 >もちろん、それに伴い新聞も売れに売れただろう。 > そこで味を占めた朝日は、今度は「皇軍将士に感謝の歌」で戦争応援(=部数拡大)を策して公募に踏み切ったわけだ。 >ところが、この歌詞もよく見ていただきたい。 >一番に「泥水すすり 草を噛み」とあり、二番には「十日も食べずに ゐたとやら」とある。 >つまり、最前線への補給が全然できていなかったと言っているわけだ。
腹が減っては戦はできぬ。これは世界の常識のようですね。 An army marches on its stomach.(軍隊の進軍は腹次第)
> ほかの国の軍隊ならば当然「我が軍の兵站は安定している。 >前線の兵を餓えさせることなどあり得ない」と主張し、こうした歌が発表されることに難色を示すだろう。 >しかし、陸軍がそのような抗議をした形跡は無い。
‘日本の常識は世界の非常識’ ですか。
>そもそも当選作を決めるにあたって、当然朝日は陸軍の意見を聞いているはずである。 >発表後に難色を示されたらレコード発売などその後のスケジュールが狂ってしまうからだ。 > にもかかわらずこれを第一席にしたということは、陸軍もそれでOKを出したということなのだ。 >なぜ、「よい」のか。 >その答えは四番の歌詞にあるのかもしれない。 >〈四.友よ 我が子よ ありがたう 誉れの傷の ものがたり 何度聞いても 目がうるむ あの日の戦に 散つた子も けふは 九段の櫻花 よくこそ 咲いてくださつた〉 > 補給不足による飢餓などどうでもいい。 >むしろそういう苦戦で戦死してこそ名誉であり、靖国神社のある「九段の櫻花」になれるから、かえってよいということだ。 >恐るべきことである。
そうですね。論理の倒錯ですね。
>これが国民の常識となってしまえば(つまりマスコミによる洗脳がここまで進んでしまえば)、兵站などどうでもいいということになり、実際そうした「前提」の下に始められた「苦戦覚悟の戦争」大東亜戦争では、ガダルカナルやインパールなどで日本陸軍は戦わずして多くの死者それも餓死者を出すことになった。
われわれは理屈に疎い国民ですね。これは利敵戦法ですね。
>戦争の効用ばかり強調して国民を洗脳するとこういう結果を生むのである。
賢い人は ‘純粋によく観察する’ が、そうでない人は ‘自分の期待したもの’ しか見ようとしない。
> ところで、一つ気になることがある。 >年代を確認しようと思ってネットで『満洲行進曲』を検索したところ、曲自体や歌詞は出てくるのだが、それが朝日新聞の「戦意高揚事業」だったという歴史的事実の記述がほとんど出てこない。 >昔はそんなことは無かった。 >まさか朝日関係者が率先してネットから削除したわけでもあるまいが(そういうことが可能なのかも私は知らないが)、そういう陰謀がもし行なわれているとすれば、朝日はいまだに懲りていないということになる。 >(第1403回に続く) >【プロフィール】 >井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。 >1954年愛知県生まれ。 >早稲田大学法学部卒。 >TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。 >本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。 >現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。 >※週刊ポスト2023年12月22日号
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