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2025年02月15日(土) 

 

>日刊スポーツ   >堀江貴文氏「大学は頭のいい人がいく高等教育機関」―>「Fラン私大に入るやつに…」私見提示   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >1日・   

>ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(52)が13日、X(旧ツイッター)を更新。

>大学受験について言及した。   

>前段で一般アカウントが「もちろん大学受験は通過点で『たかが』ではありますが、・知識 ・思考力 ・時間管理能力 ・メンタルコントロール ・SNSや友人との向き合い方 など総合力が必要。   

 

総合力は没個性の競争ですね。   

 

>それは一朝一夕に養えるものではありません。   

>貧相な語彙、浅薄な思考、想像力の欠如に傲慢さが加わると、下品になるんですね」と投稿。   

>その投稿に対し、堀江氏は「笑。俺半年くらい過去問中心にやったくらいで東大現役で受かったけど」と返信した。   

>さらに別の一般アカウントから「それは堀江さんの能力。   

>一般人はそんなもん 脳の使い方や元々の記憶力の違い 学生の時に記憶に止める程に学習している人達ではないので…」と指摘された。   

>堀江氏は「うん。   

>だからそんな奴が大学受験なんかしても意味ないよって話をしてる」と切り出した上で「大学は頭のいい人がいく高等教育機関なんだよ。   

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」 (クリフス社のゴンカルベスCEO)   

日本人には現実があって非現実がない。日本人の教育は戦前戦後を通じて実学 (技術) があって、虚学?(哲学)がない。だから‘あるべき姿’を追求する学問がないので高尚な議論が出来ない。欲得ずくのかけひきしか考えていない。それで日本人は相手からの信用が得られない。  

日本人には意思がない。だから加害者意識も無く、罪の意識もない。在るのは被害者意識だけである。天真爛漫としていて、自分自身が邪悪などとても信じられない。だから子供じみている。  

 

ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。

日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。    

 

 ‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)     

なるほどこれでは日本の大人が子供子どもして見えてもしかたがないですね。わが国の学歴社会は序列社会の言い換えにすぎない。   

「うん、頭はいい。しかし本当に信頼できるかね」 (フランク・ギブニー) 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

日本人の無哲学・能天気はついにバレたか。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。  

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。自分に都合の良い解釈ばかり続けていても相手には通じませんね。何事も相手との相談の上ですね。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) 

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)       

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>だから多額の税金が投入されてる。   

>頭のいい人をより活用することで国富が増すから。   

>大学に入らないといい会社に就職できないとか言ってFラン私大に入るやつに私学助成金が税金から支払われてるのは問題なのよ」と持論を展開した。   

 

大学進学ばかりが自己実現の道ではないでしょうね。これは序列国家の弊害いですかね。       

 

>堀江氏の投稿に対し「心にグサグサくる」「Fラン大学の存在意義自体謎」「ほんそれ」などと書き込まれていた。

 


閲覧数28 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/02/15 11:43
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