>毎日新聞 >「平和憲法、今こそ世界に発信」護憲派が各地で訴え >毎日新聞によるストーリー・ >8時間・ > 憲法記念日の3日、各地で憲法を考える集会が開かれた。 >戦後80年を前に、護憲派も改憲派もそれぞれの立場から主張を展開した。 >「核抑止の大前提問い直す必要」 > 大阪市北区の扇町公園では、護憲派の市民団体による「かがやけ憲法! 平和といのちと人権を 5・3おおさか総がかり集会」があった。 >約3500人(主催者発表)が集まり、憲法改正の動きに異を唱えた。 > 市民団体「戦争をさせない1000人委員会・大阪」の米田彰男共同代表はロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区での戦闘に触れ、「平和憲法を世界に発信していくことが重要だ」と呼びかけた。
日本人には意思がない。意思のない人間には責任もない。だから、信頼が得られない。信無くば立たず。 好きで好きで大好きで戦争だけはやりたがった。負け戦になることは分っていた。虐げられても踏んづけも戦争だけはやりたがった。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 日本人のトップは無哲学で能天気である。キチガイ沙汰だけはやまらない。戰爭派が去って平和派が出て来るというのではない。戦争派が平和派になるのである。だから危険は人間に中にある。
> 軍縮への政策提言を行うNPO法人「ピースデポ」の元事務局長で、長崎大核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授も登壇した。 >昨年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したことについて「核を巡って世界がいかに危険なところにあるかという裏返しだ」と指摘。 >「核抑止が安全を守っているという大前提を問い直していく必要がある」と訴えた。
ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。 「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー) ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相) 戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。 わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を相手国に見せつけながら、国家の最善を目指さなくてはならない。
> このほか、立憲民主や共産、れいわ新選組、社民の各党の国会議員らも出席した。 >集会後、参加者らは「憲法改悪反対!」などと声を上げながら周辺を行進した。 >参加した東大阪市の女性教員(48)は「国民に見えないところで軍拡に予算が使われているのではないか。 >唯一の被爆国である日本こそが憲法9条を守っていくべきだ」と話した。【藤木俊治、宮城裕也】 >「憲法を生かす政治を」 > 憲法記念日の3日、憲法施行記念福岡県民集会が福岡市早良区の早良市民センターであった。 >九条の会県連絡会が主催。 >下関市立大(山口県)の関野秀明教授が「インフレ不況、改憲政治からの出口戦略」と題して講演し、約300人が耳を傾けた。 > 関野教授は、海外市場や海外権益を重視する経済からの離脱を訴え「憲法9条と25条を守った平和福祉国家になることで国内で所得と投資が増え、豊かになれる」と主張。 >「社会保障が弱いと、家族のために兵隊に行ってもいいという米国のような社会になってしまう」と警鐘を鳴らした。 > 集会では「台湾有事を口実に、沖縄・南西諸島で敵基地攻撃のためのミサイル基地の新・増設が進められ、再び戦争の最前線にしようとしている。 >憲法9条2項がある限り『軍隊』を持つことはできない。
侵略国に隙を見せたらウクライナのようになる。国の守りは固くなくてはならない。空き巣に狙われるのは、家主の無防備に起因する。
>戦争をする国づくりをストップさせ、憲法を生かす政治を実現することを訴える」などとするアピール文が読み上げられた。 > 福岡市西区の永井恵さん(83)は「父親が戦死して貧乏のどん底になり、大学にも行けなかった。 >一家を支えた母親も早死にした。 >憲法9条だけは体が動かなくなっても守りたい」と話した。
好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。 太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。 太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。 人の命はどのように考えられていたのか。 ‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。
>【山口響】
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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