>日刊スポーツ >重鎮記者が政府のコメ政策をバッサリ「ただちに消費者に届ける政治の意思が見られない」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >10時間・ >読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は17日、日本テレビ系「サタデーLIVE ニュース ジグザグ」(土曜午前11時55分)に出演し、コメの価格が高止まりを続けていることをめぐり、政府の対策は「弥縫(びほう)策=一時的な取り繕い=だ」と厳しく批判した。 >政府は、コメの価格高騰に対応するため、4月までに政府備蓄米の入札を3回行い計31万2000トンの放出を進めているが、小売業者を通じて多くの消費者が入手できるような環境には至っておらず、価格も高止まりが続いている。 >農水省は、備蓄米放出に関する今後の運用の一部見直しを決め、今後の放出分についてはスーパーなどの小売業者に迅速に届けるため、「優先枠」を設定すると16日に発表した。 >今月下旬から7月にかけて毎月、10万トンずつ放出し、各回ともそのうち6万トンが優先枠となる。 >4回目の入札は5月28日から30日にかけて行われる。 >こうした取り組みがコメの安定的な流通や値下がりにつながるかどうかは、不透明だ。 >番組では、出演者やゲストが討論する「ジグザグ考論」で、適正なコメの価格などをテーマに意見が交わされた。 >この日、コメンテーターで出演した橋本氏は、そもそもの話として「政府の基本的な考え、危機意識が足りない」とバッサリ。 >「コメは主食でしょ? それが(価格が)倍でしょ? となれば、緊急事態。 >緊急事態なら緊急事態に対応しないといけないということだ」と述べ、政府の対応のまずさを指摘。 >「通常のルートでは流通ではこうなっているんだけど、ここは(緊急事態だから)断ちきって、川下(消費者側)にただちに(コメを)届けるというのが政治。 >でも、ここには政治の意思が見られない」と苦言を呈した。
そうですね。日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。責任の無い人間には信頼がない。民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
>その上で「もう少し、全体として、なぜ(現在)こうなっているんだと、分析がなされているのか」とも述べた。 >「最初に言っていたじゃないですか。『備蓄米を出せば値段は下がる』と。 >で、全然そうなっていない。 >そうなっていないのはどうしてなのかをきちんと検証した上で、次なる政策を出したのかということ」と述べ、現在の政府の対応は「単なる『弥縫策』。 >根本的な対策にはなっていない」と切り捨てた。
そうですね。
>橋本氏は、自身が秋田のブランド米「サキホコレ」をPRするアンバサダーの1人であることを明かした上で、「最近は、お米を食べる人が少なくなっていることを非常に憂いている。 >お米は非常に力になる。 >おいしいお米を食べると、こんなにいいことがあるんだよということを広められるか、ということにも力を入れないと。 >せっかく作っても、売れなければしょうがない」とも訴えた。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。だから、日本人は未来の時制を使って、その内容を表現できない。それで、日本人には意思がない。 日本人は、トランプ大統領のように自己主張ができないので、優柔不断、意志薄弱に見える。 日本人の動作は定められた作法に従っている。戦時の自決も玉砕も同調圧力と忖度によりなされている。その逸脱は許されないので、自由がない。不自由を常と思えば不足なしか。
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