>日刊スポーツ >黒沢年雄、総裁選の候補の政策に疑問を呈し「自民党は次の衆議院選挙で大敗」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >9時間 >俳優の黒沢年雄(81)が23日、ブログを更新。 >現在の政策に対し、自身の考えを示した。 >黒沢は「努力する方々は報われる世の中にしないと、真面目に働く方々はやる気をなくす!」とし「身体の不自由な方々や障害者や、親族をなくして働き手が居なくて困った方々の為の生活保護がある…似非生活保護者を徹底的に洗い直して頂きたい…18万の他医療費無料はあり得ない(国民年金は5万~6万ですよ!おかしくない!)小さな子どもを育てている若い労働者に手厚い保護や恩典の援助を声を大にして訴えたい…!」と願いをつづった。 >さらに「国は国民を画一化しようとしているが、人間にはそれぞれ生き方に個性がある…ある意味必要悪も正常化には必要だ…」と持論を記し「今の政府は個性的人間を淘汰しようとしてる…その方が楽であるからだ…この対策は間違った政策だと思う。
我が国は序列社会で成り立っていますからね。序列競争は同次元でなくてはならず没個性的ですね。若者が序列競争で苦しむと、それだけ個性が失われますね。
>平等なんてあり得ない…正直者が損をする世の中ではあってはならないと思います」と自身の考えを示した。 >また「生活保護の見直し…外国人犯罪の強化…子育て生活の恩典…政治家や政府の無駄削減…天下りの厳格化…問題は山積みであるが…総裁選の政策にひとつも出てこない…おかしくないですか?」と疑問を呈し「このままだと…自民党は次の衆議院選挙で大敗すると思います」と推測した。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。だから日本人はその日暮らしの生活をしている。
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすことに懸命になる。そして、かたい契りの義兄弟になる者もいる。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。個性に焦点を絞ることのない人間比較の叙勲は国体 (序列国家) に関する国民の意識を高めている。
|