>ABEMA TIMES >高市新総裁、靖国神社参拝問われ「適時適切に判断」「外交問題にされるべきことではない」「靖国神社は戦没者慰霊の中心」 >ABEMA TIMES (Microsoft)によるストーリー・ >14時間 >自民党の総裁選挙が4日に行われ、高市早苗前経済安保担当大臣が決選投票の末に、第29代の総裁に選出された。 >高市氏は15日召集で調整中の臨時国会で第104代の内閣総理大臣に選出される見通しで、就任すれば日本では初の女性総理となる。
そうですね。
>同日18時過ぎの会見で、記者から「靖国神社への参拝継続」について聞かれた高市氏は「靖国神社は戦没者慰霊の中心的な施設であり、平和のお社だ。 >どのように慰霊するのか、またどのように平和をお祈りするのか、こういったことについては適時適切に判断をさせていただく。
戦死者の追悼を国家が宗教家に丸投げして行うのは良くない。 我が国の政治責任者は、自分自ら追悼の指揮を執るべきである。 我が国の供養は政治とは関係がない。外交問題でもない。
>絶対にこれは外交問題にされるべきことではない。 >お互いに祖国のために命を落とした方に敬意を払い合える、そういった国際環境を作るためには私は一生懸命努力をして参りたいと思っている」と答えた。
この国が存続する限り、政治責任者により戦死者の追悼は必要である。
>(ABEMA NEWS)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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