>現代ビジネス >中国が日本、台湾にとる「恐るべき戦略」…知られざる「中国人の思考のクセ」を読み解く必読書とは >上田篤盛 (元防衛省情報分析官・軍事アナリスト) によるストーリー・ >4時間・ >中国の意図を読み解くうえで、『孫子』を上回る示唆を与えるものとして注目されているのが、古来より伝わる兵法書『兵法三十六計』だ。 >元防衛省情報分析官で、著書に『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』がある上田篤盛氏が、『兵法三十六計』から見えてくる「中国人の思考のクセ」と、「恐るべき戦略」について解説する。 >孫子が説く「戦わずして勝つ」とは? >『孫子』は、複数の勢力が離合集散し、背後の第三国が常に干渉する春秋戦国時代という混沌の中で編まれた。 >そのため単なる軍事的勝利では持続的な安全を確保できず、「戦いを避けつつ、勝つ準備を整える」ことが戦略の基礎とされたのである。 >しかし現代日本では、「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という『孫子』の有名な一節が、しばしば「非戦平和主義」や「穏便外交」と混同されてきた。 >また、「中国は平和的」「農耕民族の漢民族は戦争を好まない」といった根拠に乏しい言説が蔓延し、『孫子』本来の戦略思想の理解が歪められている。 >孫子が説く「戦わずして勝つ」とは、力を背景に謀略・外交・主導権掌握を駆使して敵を屈服させる、攻勢的な兵法である。 >つまり、敵の内情を知り、優位を築き、「勝ちやすきに勝つ」(作戦篇)ための環境を設計する思想がその核心である。 >この発想は、現代中国の対外戦略にも深く根付いている。 >南シナ海の段階的支配、台湾への認知戦、尖閣諸島をめぐる既成事実化はすべて、開戦前に勝利を確定させる「環境支配」型の戦略である。 >そこでは、言語・制度・心理といった非軍事領域が、戦場として重視されている。 >ただし、これらは武力衝突を前提とした「準備段階」の戦略であり、戦争の回避ではない。 >実際、中国の歴史において、平和的手段のみで領土問題が解決された例はほとんどない。 >『孫子』もまた、必要があれば戦うことを否定していない。 >『兵法三十六計』は『孫子』の実践編? >『孫子』が抽象的な原則を示す一方で、『兵法三十六計』はその“実践編”として、奇襲・攪乱・心理操作といった具体的な技術を提示している。 >中国ではこの両者が補完的に活用され、毛沢東の「積極防御」戦略の根幹を形成し、現代中国の軍事戦略にも受け継がれている。 >毛沢東は「防御とは将来の攻勢のための準備である」とし、「退きつつ戦い、戦いつつ主導権を奪う」という戦略思想を打ち立てた。 >『兵法三十六計』の「走為上(逃げて勝つ)」「調虎離山(退いて誘う)」「混水摸魚(乱して取る)」といった計略が、そこに連続して表れている。 >現代の台湾有事をめぐる地政学リスクに直面する今こそ、「戦わずして勝つ」という理念を、幻想ではなく現実的戦略として再定義すべき時である。 >『兵法三十六計』を、知略の実践知として活かす構想力が日本に問われているのだ。 >さらに、「戦わずして勝つ」という発想は、台湾だけでなく、尖閣諸島をめぐる日本自身の課題にも通じている。 >中国は、海警船の領海侵入や空域での監視活動を繰り返すことで主権の既成事実化を着実に進めている。 >こうした振る舞いは、ありもしない主権を主張する「無中生有」や、船舶や航空機による接続水域さらには領海へ侵入・侵犯して日本の対応を探る「打草驚蛇」といった兵法的な手法とも重なっている。 >一方、日本は「領土問題は存在しない」と繰り返すものの、その主張が国際司法の場で認定された事実はなく、提訴もしていない。 >現場では海保による巡視にとどまり、自衛隊による領空や周辺空域の常時的な飛行は行われておらず、島には住民も施設もない。 >結果として、実効支配の実態が国際社会に十分に伝わらない。 >多くの国々は、法律の言葉よりも、誰が現場を管理しているかという「行動の現実」を重視する。 >つまり、今のままでは中国の動きのほうが説得力をもって映る。 >日本が真に主権を守ろうとするなら、法的な主張に加えて、常時監視や制度整備などによって、「見える支配」の体制を整える必要がある。
そうですね。有言実行ですね。
>それこそが、現代における「戦わずして勝つ」戦略の実践となる。 >中国が軍事行動に踏み切る可能性は? >「意図を読み違えること」は戦略判断に致命的影響をもたらす。 >特に、政治的合理性の構造を見落とすことは、相手の意図を見誤ることになる。 >戦争における「合理性」は単純な損得計算では測れない。 >名誉、主権、政権の維持、対外的な威信といった複数の要因が複雑に絡み、それらの総合的な判断から生まれる政治的合理性が、犠牲が少なく目的を達成できるという軍事的な合理性を凌駕することもある。 >だから、たとえ戦力的に不利であっても、台湾が独立を宣言するようなことがあれば、中国が「主権の侵害」と主張し、あらゆる手段を用いて軍事行動に踏み切る可能性は否定できない。 >筆者が防衛省で情報分析に従事していた約20年前にも、「中国の政治的合理性が軍事的非合理を上回る場合がある」という認識は共有されていた。 >ロシアのウクライナ侵攻でも、アメリカはロシア軍の動きを衛星や通信の傍受で把握したが、プーチン大統領の真意を読みきることはできなかった。
そうですね。
>多くの専門家が「経済制裁がある以上、侵略は起こらない」と考えたが、現実には侵攻が行われたのである。 >『兵法三十六計』から中国人の思考を読め >さらに台湾有事においても、「中国は渡海能力が不十分だから侵攻はない」とする見方がある。 >しかし、これは「中国は非合理な決断をしない」とする希望的観測に基づく意図の推測に過ぎないかもしれない。 >さらに「軍事演習は政治的牽制であり戦争準備ではない」とする認識も、そこに潜む奇襲上陸をめざす課目別訓練や情報戦・認知戦の様相を見落とし、中国の意図を見誤る可能性もある。 >このように、兵力の目に見える動きや演習の全体的なシナリオ、中国当局の報道や発表だけを分析しても、本質的な意図に迫ることはできない。 >なぜその手を打ったのか、その背後にある考え方は何か、こうした問いを立て、歴史を振り返り、中国人の思考のクセに近づこうとすることが戦略思考を深めるのである。
そうですね。 中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。
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中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] 東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した] 南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。
>『兵法三十六計』は、こうした行動の背景にある思考や論理構造を読み解くための手がかりを与える。 >『孫子』や『三十六計』が奏でる計略が戦略文化として広く共有されている以上、それを読み取る視点を持つことが、不確実な情勢に対する備えの質を大きく左右する。 >計略を読む力――それは、装備や情報技術とは異なるもう一つの戦略的リテラシーなのである。
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