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2009年01月12日(月) 
近くで起こった事件です。暗い話題で申し訳ありませんが一言云いたいのです。

http://jp.youtube.com/watch?v=


検察官や裁判官が涙を流したって何の役にも立ちません。彼らも人間だなあ…と言うだけのことです。

彼らの務めは同じようなことの再発防止だと思います。禁固○○年執行猶予□□年と決めても、再発防止にはなりません。

国のシステムにどのような欠陥があってそれが改善されずに放置されたか、あるいは救済システムはあるのだが、関係者がその実施を怠ったのか、あるいは届くべき人(被告の同様の境遇にある人)に情報が届かないことについて公報活動に欠陥が有ったのか、それを明らかにする為に新しい刑事訴訟もしくは民事訴訟を起こす必要があります。何らかの欠陥があったことはこのような事件が起こったことから証明されています。

民事訴訟は裁判官や検察庁がやるわけにはいかないでしょうが、被告に勧めることはできます。刑事訴訟の場合、被告は国などの団体だか法人だかでいいのか、特定個人でないといけないのか、はたまた誰かが検察庁に告発しないと捜査が開始できないのか、私の知るところでは有りませんが、判決を出した所で終わっているとすれば、私は怠慢だと思います。

しかるべき場所の修復が行われないと、再発は当然にあります。

閲覧数5,453 カテゴリ日記 コメント9 投稿日時2009/01/12 16:50
公開範囲外部公開
コメント(9)
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  • 2009/01/12 18:15
    イアンさん
    コッチさん

    >しかるべき場所の修復が行われないと・・・
    コッチさんの言うとおり、同感です。

    ただ今日のところは、裁判官・検察官と同じ・・・涙する人間の一人です。
    次項有
  • 2009/01/12 23:02
    鉛筆コッチさん
    イアンさん

    私も目下涙しているのみです。

    しかし、システム修復にどのような手段が取り得るのか、調べて見たい…とは思っています。例えば、私でもできることはあるのか、だれかをそそのかした方がいいのか。

    ビデオのいう云うように周り見回して個々のケースを探し出して対処療法をする力は私にはありません。
    次項有
  • 2009/01/13 10:31
    MIYUさん
     コッチさん

     私も何の役にも立たない涙をぽろぽろこぼしています。
     この男性が自分の置かれた不条理な立場に民事訴訟を起こせるとも思えません。

     心が追い詰められて判断がつかなくなることは同じ立場に置かれればだれでもそうなる可能性があります。自分も例外ではないです。

     駆け込み寺のようなところがあって問題を整理して生きていくための方法をアドバイスしてもらえれば、しばらくはゆったり自分でも考える猶予を与えられるようなことができればと思います。
     
    次項有
  • 2009/01/14 00:16
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

    >この男性が自分の置かれた不条理な立場に民事訴訟を起こせるとも思えません。

    そうでしょうね。だから誰かが辯護士費用を負担してそそのかす必要があると思います。そのかす…という表現が悪いなら、同じような境遇にあう人が今後でないようにするために…と義侠心を煽るといった方がいいのかも知れません。

    検察庁に告訴しても、こちらが余程に十分の証拠を揃えて持っていかないと受理してくれないことが多いそうです。

    真面目で気の弱い人なら、駆け込み寺を探す余裕もないと思います。彼が行った失業保険の窓口、生活保護の窓口こそが連携しあってその役目をする必要があると思います。

    容易なことでは出来そうにはありませんね。強いプレッシャーが必要でしょう。
    次項有
  • 2009/01/17 20:19
    ヒッチさん
    3回見ました。人間が悲しくて、無力に肩を落として。

    号泣しました。わたしは裁判官達と同じです。

    涙して、この事実を皆に話す・・・
    一人でも多くの人に・・・
    語り継ぐ・・・
    次項有
  • 2009/01/18 00:38
    鉛筆コッチさん
    kata0133さん

    悲しいですね。悲しむだけでは前進がないので、何とかしたいと思うのですが、自分の無力を嘆くだけになるかも知れません。

    これだけでは事実関係も判りませんので、そこから調べたい…とは思っていたのですが、そのまま忘れていました。 kata0133さんの書き込みで思い出しました。

    有り難う御座います。
    次項有
  • 2009/01/18 01:01
    鉛筆コッチさん
    kata0133さん

    今、少し調べました。対応した福祉事務所の人は今後はもう少し時間を掛けてくれそうですが、国全体の反省にはなりそうに有りません。どうも国を訴えようとの動きはなさそうです。あるブログを下記にコピーします。他にも沢山ありました。

      …………

    介護疲れと生活苦から、認知症の母親(当時86歳)を
    本人の承諾を得て殺害したとして、
    承諾殺人などの罪に問われた長男の京都市伏見区納所町、
    無職片桐康晴被告(54)の判決公判が21日、京都地裁で開かれた。

    東尾龍一裁判官は
    「母親の同意を得ているとはいえ、
     尊い命を奪った刑事責任は軽視できない」
    と有罪を認めたうえで、
    片桐被告が献身的に介護をしていたことなどの事情を酌量して、
    懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)とする判決。

    判決によると、母親と2人暮らしだった片桐被告は、
    2005年4月ごろ、母親の認知症が悪化したため、
    介護のために昼夜が逆転する生活が続き、昨年9月に勤務先を退職。
    生活保護申請のため、福祉事務所を3回、訪れたが、
    いずれも受給は認められなかった。
    今年1月にはアパートの家賃も払えなくなり、
    絶望して母親を殺害し、自分も死のうと決意。
    2月1日朝、伏見区の桂川河川敷で、
    車いすに乗った母親の承諾を得て首を絞め殺害した。

    東尾裁判官は判決理由で
    「母親は被告から献身的な介護を受け、特に犯行前日には
     懐かしい思い出のある京都市内の繁華街を案内してもらっており、
     決して恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される」
    と片桐被告に有利な情状を指摘。そのうえで、
    「社会の中で自力で更生し、
     母親の冥福(めいふく)を祈らせることが相当」と述べた。

    【最後の親孝行に】
    片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
    2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で
    「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、
    母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
    片桐被告が「すまんな」と謝ると、
    母は「こっちに来い」と呼び、
    片桐被告が額を母の額にくっつけると、
    母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。


    (´A`) 「もう生きられへん。ここで終わりやで」

    J( 'ー`)し 「そうか、もうあかんか・・ いっしょやで おまえといっしょ」

    (ノД`) 「かあちゃんごめんな・・」

    J( 'ー`)し 「こっちに来い」額を合わせる

    J( 'ー`)し 「おまえはわしの子や。わしの子やで・・・ わしがやったる」

    ・・・ (母死亡、息子包丁で自分の首を切るも失敗、息子逮捕)


    【口頭弁論:被疑者最終弁論】
    (´A`) 「もう一度生まれ変われるのなら母さんの子として生まれたい。」     
         

    第2回公判での担当ケアマネの証言を紐解くと、
    ・社会福祉協議会から上限170万円を無利子で借りられる
     「療養介護資金」は保証人が必要なので断念
    ・特養ホームへの入所は待機に3~4年かかり、
     月6~7万円の負担も当時は困難
    ・母を世帯分離しての生活保護受給は、他人に迷惑がかかると拒絶

    と、まじめな性格が見えます。更に、親族の証言によると、

    ・他人の世話にならないよう厳しく育てられ、曲がったことは嫌い。
     30万円を貸した時は半年で返済し、
     家賃も毎月1日も遅れず払っていた

    と、証言されています。

    この事件で救いなのは、裁判官・検察・弁護士の一体感です。
    検事は、証人として従兄弟や担当のケアマネージャーをを呼びました。
    そして、被告人が釈放された後を支えていけるか聞いたそうです。
    彼らは、ここまで追い込まれていたことを知らなかった事を悔いていて、
    責任をもって被告人を支えていくと証言しました。
    また、近所の人は嘆願書を書き、検事は提出しました。

    これは、周囲の人間の理解を得る為の配慮です。
    そこを見据えて、証人として呼んだわけですが、
    本来コレは弁護側の仕事な筈です。
    今回の事件はココまで大きな影響を与えています。
    この事件は、検察が異例な「弁護」をした事件です。

    確かに、これは尊属殺人。罪は重罪です。
    しかし、この場合は、被疑者の怠惰による
    経済的困窮に起因する事件ではないので、
    情状酌量の余地があり、かつ近隣住民等による嘆願もあります。

    行政の不作為はいつものことでしょうが、
    下級審以外で勝訴した例はほぼ皆無な訳です。
    結構画期的な判決の事件ではないかと思います。

    「もう一度生まれ変われるのなら母さんの子として生まれたい。」といった時、
    検察官は堪え切れず嗚咽したと聞きます。
    検察側は上告をしていません。

    個人的には、執行猶予のお沙汰なら、自殺の可能性があるのでは、
    とは思いましたが、先の検察側の配慮のほかに、
    東尾裁判官は、判決文を読み終えたあと、片桐被告に
    「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、
     母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。
    同被告は声を震わせながら「ありがとうございます」と頭を下げた、
    という経緯からも、その点にだけは留意しているようです。
    次項有
  • 2009/01/19 06:58
    MIYUさん
     生活保護の窓口の方が
    圧力に怯えて支払うべきでない保護費をやすやすと手続きしたり反対に「いかに受給者を減らすかが腕の見せ所」と勘違いしたりしないでほしいです。
     むしろ必要な人は民生委員などの手をかりて「掘り起こしてでも」措置するようでなければこのご時世、遅すぎた涙を流すこんな事例が後を絶たないと思う。

     気をつけていても病気になる。
    真面目に生きていても生活に困窮することがある。
    誰もが老いて不自由になっていく。

     そんな人に手を差し伸べられない世の中であったならどうして先進国なんて大きい顔ができるだろう。

     
    次項有
  • 2009/01/19 22:12
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

    そうですね。窓口や民生委員にプレッシャーをかけるべきではないでしょうね。

    これはシステムの問題ですから、霞ヶ関にプレッシャーを掛ける必要があります。霞ヶ関にはこの裁判の内容は耳に届かないでしょうから、霞ヶ関のしかるべき人を被告席に座らせることが好ましいと思っています。

    民生委員は実質的には無給のボランティアであり、現在人数が不足しているそうで、大変なようです。今日のニュースでは暴力団員の生活保護不正受給が94件あったそうです。

    厚生年金のデーターインプット問題は、作業者の勤労に対するモラルの問題ですから、これは霞ヶ関にプレッシャーをかけても意味がない。掛けるなら官公労の方にでしょうね。

    経済先進国必ずしも福祉先進国ならず…というのが残念ですね。両立してほしいものです。
    次項有
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