今日は暖かい湘南。22℃超えて風も無く海も穏やか。やっと先週の三陸への旅の疲れが取れた。『陸前高田』のレポート三陸海岸での酒造では国高も多く、評判も上がっていた酔仙(すいせん)酒造。ここの津波画像で、大きな木造建物(蔵:文化財だった)が流れて行くのを見た方も多いのでは・・。此処との縁は、我が酒の会(正木・寺家・池田による)。数年前から、岩手の酒いろいろを味わっていた我々。昨年とうとう正木さんと寺家さんが電車に乗り此処を訪問。建物も良し!人も良し!酒も良し!津波が無くても、私も今年の岩手行きには寄る予定だった。しかし、大津波のお陰で我が車でここを訪問する事となる。街では無くなったが、人は沢山現在も頑張っている。飲料水は未だに供給されていないが、井戸で補う家もある。標識の無い、目標も少ない平地。しかし、高台には多くの家が残り、いろいろな施設もある。この市域は西に25kmと奥が深い。山道の脇では農家が田植え準備をしていた。JRも陸前矢昨(やはぎ)駅までは元の姿に近い。その先の橋が残り、その周辺からは水溜まりと瓦礫が続く。田や畑に海から運ばれた瓦礫類はかなり綺麗になった。梅雨を迎えるので、河川の瓦礫類も優先的に処理された。瓦礫と廃屋(木造は殆ど無い)の間の道は清掃が進む。自衛隊の方々も道路の清掃と維持管理にご苦労されていた。未だに見つからない方々多数も・・気仙川の6km上流地点まで遺体が運ばれた由。有名だった松原は1本残して壊滅。赤松の残骸はキチンと保管されていて何れ薪として再利用とか・・太くて立派な材にみえましたが。津波で壊された自動車は数ヶ所で保管。見事な変形ぶりのものも多い。しかし、使えそうなボディもある。さて、酔仙の酒造跡を見る。高田町大字大石がその地。周辺にはコンクリートプラントが形として残る。しかし、酒造跡にはタンクが何本かとかなり減った残骸が残るのみ。敷地は何も無くなっても広さがある。50人の職員がいたが、その2割が犠牲になる。知人は営業で他の地域にいて津波に遇わず。大地震時には作業中で、その場で解散。すぐ裏に台地がある。高台へ脱げる人、家族を迎えに行く人運命がいろいろ左右した模様。瓶詰した酒がこの地に砂で埋まるも残る。その2本を今回頂いた。宿泊地に兵庫教育大富永先生と臨床心理士の皆さん多数が居られて(高田と大船渡へケアに来られていた)夕食時に味見をして頂いた。『美味しい!』と皆さんが仰る。幻の酒・・も味見して頂いたので、今後愛用して頂けるかも。なお、現在は全員解雇で失業保険で何とか凌ぐ。11月酒造り再開を目指して、近隣の酒造と作業スペース確保に向けて調整中。日本酒造りから撤退間もない蔵が借りれたら、最高ですが。がんばれ~!一ノ関へ60km。皆さんは車利用ですので、JR運休でも1時間で参集出来る。車が無いと生活出来ないという地域でもある。「車は贅沢品」と未だに色々な税を掛け、ガソリンの税も無くならない。都会のベンツ乗りには課税も分かるが、地方の必需品には消費税だけで勘弁して欲しい。ガソリン税廃止で政権奪取の民主党・・・何にも公約守れずだ。大地震大津波の勢にして、今後も誤魔化すのでしょうが。画像:陸前高田 酔仙酒造跡5月19日撮影