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2016年07月14日(木) 

 

 

対話がない。言いっぱなしになる。粘り強い協力関係が得られない。

自分さえ善ければと考えて、孤立無援・孤軍奮闘となる。挙句の果てに自滅する。

今は、民主主義の時代である。民の力で世界が変えられる。それには、民の理解が必要である。

雄弁が必要である。高尚な話が必要である。民が高尚な話を理解できるか。それだから、高等教育の普及が必要である。

 

日本語の ‘理解’ という言葉に一つ気になることがある。我が国の役人の使う言葉に、’ぜひ、この件につき、ご理解をいただきたい’  というセリフがある。これは、’こちらの言い分を容認せよ’ という意味であるが、これは本当の ‘理解’ ではない。理解は、話の筋に矛盾のないことを確認することであって、その内容を容認することとは関係がない。矛盾のない筋書きならいくらでもある。理解は、相手がそれを受け入れるか、受け入れないかには関係がない。

 

日本語には、時制がない。現実のみ文章内容になる。日本人は、現実肯定主義者になる。矛盾の指摘も、高々現実止まりである。そして、その多くの矛盾は序列の壁で阻止されて非難としては成立しない。

日本語には階称 (言葉遣い) がある。’上とみるか・下とみるか’ の世界を発展させてゆくと、序列の社会が出来上がる。

序列社会の政治では、上位の者の恣意は上意下達で実行される。問答無用であるから、矛盾のチェックなどはなされない。

堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで上意の実現に励めば、南の島に雪が降る。

朕は国家なり。民は国家のためにある。民は朕のためにある。キム・ジョンウォン 朝鮮語にも階称がある。

 

日本語には時制が無いので、日本人には意思がない。意思は、未来時制の文章内容である。だから、日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) は有る。恣意は文章にならない。他者の察しにより汲み上げられる。恣意には文章が無いから、意味もなく矛盾もない。だから、問答無用である。恣意は以心伝心により取り上げられる。恣意は、どこの社会でも認められない。恣意の不自由は常と思えば不足なし。

 

個人は、全体の為にある。これは全体主義である。

日本人の責任感は、序列に基づく責任感である。上位下達を守ること。言語を持たないアニマルの責任感のようなものである。この掟は下の者に負担がかかるだけ。とかく、この世は無責任。国がひっくり返っても、その政治責任者は出なかった。

 

英語には、時制がある。時制があると、非現実の文章内容が表現できる。だから、英米人の頭の中には現実と非現実の内容がある。非現実の ‘あるべき姿’ の内容を大切にするのが理想主義である。

時制があるので意思が有る。意思は未来時制の文章内容で表現される。文章があれば意味もある、意味が通らなければ、その矛盾を外部から指摘することもできる。矛盾を除去すれば正しい考え方が得られる。だから、議論は有用である。建設的な意見となる。

政治は、責任ある者の理性判断に従って、責任者の意思により執り行われる。個人のリーズン (理性・理由・適当) を大切にするのが個人主義である。リーズナブルな答えが得られる。自由な発想が尊重される。

個人に意思の表明があるので、責任者を名指しすることもできる。

 

日本人には、有言の説得力がない。哲学 (非現実) が無いから、大同を示すことができない。小異 (現実) を主張する人たちばかりでは、大同につく結論は得られない。だから、なーなー主義の人たちは国際社会の指導者にはなれない。英語を勉強して、哲学を習得すれば、説得力のある人物になる。

一旦理性判断を獲得した人は、日本語を話しても無哲学・能天気の状態には戻らない。

 

そうはいっても、日本人には無言の説得力がある。神経 (注意力) を目先手先の事柄に集中させることができるので、細工物の仕上がりが良い。我が国の製品は世界の消費者に広く受け入れられて、日本は技術立国となった。大量の資金が我が国に還流して、我が国は経済大国にもなった。

 

技術は誰もが習得したいもの。それで、わが国には多数の技術研修生を擁しているが、日本語の習得がはなはだ悪い。これが難問である。外人は字が読めないからである。非漢字圏の人には漢字の習得が難関となっている。日本語をローマ字表記にすれば、たちどころにこの問題は解決する。だが、これを実施する気配はない。日本語を話すためには、日本語の音読が欠かせない。漢字の音読は特に難解で、日本人でも振り仮名の表記が必要である。これには漢字の本家である中国人も驚いている。日本語の表記を容易にして、日本語を国際社会に第二言語として広めたら、世界に対する我が国の恩恵は計り知れないものになる。日本人の得意な日本語で実学 (技術) の国際基準を作ることも可能になる。国際社会において、民の力を獲得しよう。日本人は、日本語を解する民に有言の説得力をもつに至る。

この世のあるべき姿は、暗記ものではない。相手と話し合って練り上げるもの。だから、会話が必要である。無言の内容を有言に変える努力が必要である。今は、民主主義の時代である。民の理解が欠かせない。民の力で、この世界を動かすことができる。国際的な対話のできない人はみじめである。時代に取り残されて孤軍奮闘・自滅が待っている。

 

総理大臣の田中角栄は、今太閤であり闇将軍であった。彼は列島改造論というこの国の ‘あるべき姿’ を掲げて自分の夢を追いかけていた。彼の構想は、国民に夢と希望を与えた。彼は政治の力を利用して非現実の内容を現実の内容に変えた。今時、珍しい日本人であった。

我々は、矛盾を交えることなく、非現実の世界の有様を熱意をもって語らなければならない。マスター・プラン、グランド・デザイン、グローバルな構想、ユニバーサルな着想が必要である。さすれば、非現実の世界を現実の世界として実現させる可能性が生まれてくる。我が国も、この地球も、政治の力により新世界に突入する。

我々日本人は、細やかな心遣いを得意としている。だが、そればかりでは、新世界は到来しない。地球村の村長には、有言の説得力が必要である。

 

 

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閲覧数561 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/07/14 02:48
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