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2016年08月05日(金) 

 

>江戸時代には士農工商という身分制度があったことはあまりにも有名ですが、そういった身分制度は近代化とともになくなっていったわけですけど、300年も続いた徳川幕府の時代に、日本人のDNAに身分のようなラベリングを求める心が刻み込まれたのではないでしょうか。

 

身分のようなラベリングは、日本人のDNAには関係ないでしょう。日系移民の子孫には、そのようなラベリングはありません。

 

>そういった身分制社会では、正論をいってお上に反抗的な人間よりも、むしろお上に阿って身分制社会の中でうまくやっていこうとする人間のほうが成功して子孫を残せる確率が高まります。

 

日本人には意思がない。だから、受動的な生活態度にならざるを得ないのでしょう。

 

>また女性もなるべく高い身分の男性と子供を作ったほうが、同じく子孫が残せる確率が高まります。

 

それは、どこの国でも通用する話ではありませんか。猿山でも。

 

>このように日本人の心のなかに身分を強く求める心が生まれたと考えられないでしょうか。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) があります。自分を基準にして、’上とみるか・下とみるか’ を考えないでは、日常会話も満足にできない状態にあります。だから、身分を強く求めます。人間序列の大まかな区分が身分制度でしょう。

 

>そして近代社会では、そのような身分の代替物としての大学名と会社名が機能しているのです。

 

日本人は、とかく身分に敏感に反応しますからね。

 

>このようになるべくいい大学に入る、そしてなるべくいい会社に入るというある種の強迫観念が、日本人の心に深く刻み込まれているのかもしれません。

 

序列社会においては、序列判断を誤ると礼儀正しい日本人にはなれません。だから、向上心のある日本人にとっては、序列判断は強迫観念になっているのでしよう。日本人は、国際社会においてさえ、名誉ある地位を占めたいと望んでいます。地位である、働きではない。これは、小さな体に大きな望みでしょうか。

 

 

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閲覧数602 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/08/05 11:45
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