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2017年04月04日(火) 

 


>韓国では民主化とは「法より民意」である。

 

民意とは何ですかね。この場合、’民の意思’ ではなくて、’民の恣意’  (私意・我がまま・身勝手) でしょう。

もしもそうであれば、韓国の政治は民主化されませんね。

 

>メディアを挙げて「これが本当の民主主義だ」といって自画自賛している最近の「100万人ロウソク・デモ」も、代議政治無視の「法より民意」の発想である。

 

意思は大切であるが、恣意はどこの国でも受け入れられませんね。

 

>法は秩序だが、民主化は民意優先だから秩序も崩れる。

 

法や意思は、明文化されますが、恣意は明文化されません。小言・片言・独り言に終わっています。

 

>その象徴がソウルの中心部にある「光化門広場」を“占拠”している不法テント村。

>「セウォル号沈没事故」の犠牲者支援と称し、朴槿恵政権非難を続ける反政府派の座り込みテントだ。

 

きっと恣意のよる鬱憤晴らしでしょうね。

 

>これも「民意」への配慮から撤去できない。

 

韓国人も、日本人と同様に意思が無いのでしょう。意思は未来時制の文章内容ですが、日本語には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。

韓国語も同様ではありませんか。そうであれば、韓国人にも意思が無いことになります。

 

>民主化が韓国社会全体に無法現象を生んでいるのだ。

 

民の意思は民主化に役立ちますが、民の恣意は何の役にも立ちませんね。ただ、混乱を招くだけ。

 

>もう一つの反日・愛国シンボルである竹島・独島問題は、1965年の日韓国交正常化の際、ある種の棚上げ論として“現状維持”で合意していたのが、民主化による過去否定で韓国は領有権強化という“現状変更”に突っ走ってしまった。

 

意思の一致は合意ですね。恣意は文章にならず、意味もない。だから、合意に達することも無い。その矛盾すら指摘することはできない。議論ならない。民主主義のはき違えですね。

 

>日常生活でも民主化による韓国社会の“変化”は目に余る。

 

民主化のはき違えですね。

 

>長年のウオッチャーにいわせれば、以下もまた伝統的な秩序の崩壊である。

 

人間は、言葉を使って考える動物ですからね。言葉が変われば、考えも変わる。

 

>筆者はソウルの若者街「新村」に長年住んでいるが、近年の若者風景の激変ぶりには愕然だ。

>ある時、昼間の通りで20代とおぼしき若い男女が大声で口ゲンカしていた。

>こういう場面は外国人記者の文化人類学的関心をそそる。

>「争点は何かな?」と近づいて耳を傾けたところ、突然、男がこちらに向かって「何を見てやがるんだ! あっちへ行け!」と叫んだ。

 

これでは議論にはなりませんね。恣意による言動では、話になりませんね。

 

> これには驚いた。

>筆者は白髪の老紳士(!)である。

>言語、つまり言葉使いにはことのほか「長幼の序」が厳しい韓国で、年輩者にこんな物言いは本来は絶対にありえない。

 

日本語にも韓国語にも階称 (言葉遣い) というものがあります。階称を外したら、’上とみるか、下とみるか’ の判断もなくなります。

 

>若い男にこんな物言いをされたのは40年近い韓国暮らしで初体験である。

>民主化でついに伝統的な年齢文化(秩序)さえ壊れてしまったのだ。

 

言葉の使い方が無視されると、上下文化も維持できませんね。

 

>一方、若い女性は通りでぶつかると昔は頭を下げたものだが、最近は決まって「アアッ」という声を発する。

>これはつねられたりして痛い時などの感嘆詞だが、今や老紳士とぶつかっても相手に対する配慮より自分が優先で、「アアッ」といって相手を睨む。

>「男は何するものぞ」の民主化(男女平等)の結果だ。

>韓国女性は間違いなくさらに美しくはなったが“ジコチュウ”にも磨きがかかっている。

 

日本人も韓国人も自己中心的ですね。’今だけ、金だけ、自分だけ’ の処世術で生活しています。哲学が無く、世界観が無いからでしょう。

 

>さらに最近、韓国の若者はまるで発情状態だ。

>昼間から地下鉄や街頭で抱き合い、キスまでしている。

>横断歩道の信号待ちや、筆者が住んでいるワンルーム・マンションのエレベーター前でも、男女が待ち切れず(?)にキスしている。

>日本に比べるととくに、儒教の影響で性道徳に厳しい韓国で、カップルが人前でキスなどかつては考えられないことだった。

 

今更、世俗の上下秩序の退廃を嘆いても始まりませんね。

 

>それに韓国はスマホ天国だから、地下鉄やバスでは乗客の9割以上が俯いてスマホをいじっている。

>当然、他人は目に入らない。

>それをいいことに(?)韓国社会の“美景”だった年寄りに席を譲る若者も激減した。

 

老人が上下社会への郷愁を述べても、ただ時代錯誤としか受け取られませんね。

 

>儒教とは、人間を動物とは異なる秩序ある存在として訓育するもので、それによって国家、社会も安定するという教えだった。

 

言語の階称を利用して秩序を維持する方法ですね。これは、アニマルには適用できません。

 

>即ち、法は動物にはない人間だけのものだが、民主化によって儒教の教えも崩壊したのだ。

 

意思は文章内容であります。文章内容があれば、法律もできる。

恣意は文章にならない。この状態は、アニマルと同様です。社会は野生の王国になります。

 

>筆者はかねてから民主化以降の韓国の変化を“NGO国家”として皮肉ってきたが、いささか極端にいえば韓国は今やどこか無政府的(つまりNGO!)でさえある。

>NGO大好きの左翼・革新系の野党勢力が次の政権を握ればこれはもっと深化するのかしら?

 

恣意による民主主義は成り立ちませんね。政治形体にならない。民は政治音痴になる。

 

>●くろだ・かつひろ/1941年生まれ。京都大学卒業。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長を経て産経新聞ソウル駐在客員論説委員。著書に『決定版どうしても“日本離れ”できない韓国』(文春新書)、『韓国はどこへ?』(海竜社刊)など多数

 

 

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閲覧数531 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/04/04 05:26
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