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2017年04月05日(水) 

 

>戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。

 

同感です。

 

>安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。

 

徳目を暗記させる教育ですね。自分で考える力のない。修身斉家、治国平天下ですか。中国式ですね。

 

>個人より国家を優先させる思想である。

 

国家が個人を守らなくてはならないですね。しかし、我が国には、個人主義が定着していない。利己主義と間違えられています。

 

>復権を許せば、末路は危うい。

 

‘この道は、いつか来た道’ というところですか。過ちは繰り返しますから、、、、心配でする。

 

>教育勅語について、政府は「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない」との答弁書を閣議決定した。

 

哲学の欠如は、北東アジアの民族のメンタリティの標本にはなるでしょうがね。

 

>菅義偉官房長官はさらに踏み込み、道徳教材としての使用も容認する考えを記者会見で示した。

 

無哲学・能天気の標本としてですね。

 

>政府のこうした言動を深く憂慮する。

 

同感です。でも、何がおかしいか言える人の声が小さい。困ったものです。

 

>国会議員の質問主意書への答弁書とはいえ、政府が個別の教材の位置づけを明示することは、教育に対する介入に等しい。

>ましてや、国民を戦争へ駆り立てた教育勅語の取り扱いである。

 

言葉の通じないアニマルは調教で鍛えるということか。

 

>肯定的な姿勢は国内外の疑念を招く。

 

歴史修正主義ですね。無哲学だから、歴史哲学も著わせない。文章・言説では、表現できないのか。

 

>教育勅語は一八九〇年、明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。

 

上位下達の言葉ですね。暗記ものですね。念仏のようなものか。

 

>自由民権運動や欧化主義と儒教主義や皇国主義との対立を収め、教育の基本理念を定める狙いがあった。

 

無哲学・能天気の民には、西洋哲学は受け入れがたいですね。

日本人は、序列制の現実だけの世界に生きている。

西洋人は、現実と非現実 (理想・哲学) の世界の兼ね合いの上に生きている。

これ状態が対立しないわけが無い。今日でも、状態は同じこと。

無為無策では、現実は変わらない。我々には現状の分析・理解が必要でしょう。

 

>学校での朗読が強制され、神聖化が進んだ。

 

式典の時に、校長が読み聞かせました。頭を垂れているのが大変だった。

 

>天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。

 

序列と恣意 (私意・我がまま・身勝手) があって、意思と責任が無かった。

意思は未来時制の文章内容であって、日本語には時制というものがないので、日本人には意思が無い。それで、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。

意思が無ければ、責任もなく、とかく、この世は、無責任。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>親孝行や夫婦の和、博愛といった徳目は一見、現代にも通じるものがある。

 

今は子孝行の時代です。違ったこともある。

 

>だからだろう、安倍政権を支持する保守層には、教育勅語を評価する向きが少なくない。

 

自己の頭を使う哲学が無いから、徳目の暗記に頼る。そして、大きな顔をする。だから、’考える人’ にはならない。

 

>しかし、その徳目はすべて「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以(もつ)て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に帰結する。

>国家が非常事態に陥った時には天皇のために身命を賭すことが、不変の真理であると国民に植え付けたわけだ。

 

国の指導者は自分に不利なことは、自国にとっても不利なことと教える。キム・ジョンオンのようなものか。独りよがりである。しらける。

 

>だからこそ、教育勅語は戦後の一九四八年に衆院で排除の、参院で失効の決議がされた。

>閣議決定はこれをたがえるものである。

 

また、別の考えを思いついたのかもしれませんね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開国論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’。  (あるアメリカの国務長官)

 

>もちろん、かつての天皇制や教育の仕組みを学ぶ歴史教育のための資料としては有効だろう。

>それでも、とりわけ道徳教育では持ち出すべきではない。

 

能天気の徳目教育はすべきでありませんね。序列天皇制度と徳目の暗記教育では、未来への道は拓けませんね。

 

>国民主権や基本的人権の尊重といった現行憲法の理念に根差してはいないからだ。

 

能天気は西洋哲学には関係ありませんね。自分の頭を使う時がきました。英米式の高等教育が必要です。

 

>「憲法や教育基本法に反しない形」で、教材として使うのはおよそ不可能である。

 

何が悪いのかを言うことが出来ない。それが根本の問題です。

 

>小中学校の道徳の時間は、特別の教科に格上げされるが、個々の徳目に惑わされてはならない。

>それこそが教育勅語の教訓だろう。

>自民党は復古的な憲法改正草案を掲げる。

 

無哲学・能天気な人間は、よりどころが無くて困る。徳目を口実にして処世術の活用に励んでいる。だから、師に教えを乞う必要が生ずるのではないのでしょうか。そして、さらに自主性のない生活を続けることになる。

 

>戦前の価値観を志向するような閣僚ぞろいの安倍政権が唱える教育観には警戒したい。

 

そうですね。日本人には、世界観が無い。世界観は、時制のある文章で表される非現実の世界です。日本語には時制が無いので、日本人には世界観が無い。

自分の住みたい理想の世界を脳裏に想定できない。だから、思い付きの発言ばかりをしている。行き当たりばったりの生活をしている。教育改革は大切です。

 

 

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閲覧数1,188 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/04/05 22:49
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