>リンクより引用。 > ***
>つい先日、あるwebマーケティング会社の方々から、 「社外の専門家を雇ったのだけど、本当にうんざりした」という話を聴いた。>「なぜ?」とお聞きすると、「とにかく仕事ができないので、チームの雰囲気を悪くする。」という。>しかし、当然ながら「仕事ができない専門家をなぜ雇ったのか?」というギモンが浮かぶだろう。> 私はそれを聞いた。すると彼らは、 「いや、知識だけはすっごいあるんですよね。分析ツールとか、統計とか。異常なほど詳しい。本も出したりしている。」
この専門家は暗記もので鍛えたのですね。
>「なるほど。ではなぜ「仕事ができない」と感じたのですか?」> 「その人さ、問題を指摘するだけで、全然改善案を出せない専門家なんですよ。」> 「そういうことですか。」> 「例えば、webサイトを見て、あそこが悪い、ここもダメ、っていう指摘はめちゃめちゃうるさいんですよ。でも、「じゃあどうすれば改善しますか?」と聞くと、何も出てこない。」
論客は、ああでもなければこうでもないと力説する。では、どうであるかということになるが、自分はどうであるかを決して言わない。自分には、考えが無いからである。
> 「なるほどw」> 「しかも、異常に細かい部分にこだわるんです。サイトの全体設計の話をしている時に、ボタンの位置やレポートのフォーマットの話とか、「今そこじゃねーだろ」って、ツッコミたくなるわけですよ。」
小異を捨てて、大同につくことが事態の進展を図ります。議場に大同を示す人がいなければ、小異の議論から抜け出すことは難しい。
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>そういえば、私も同じような経験をしたことがある。 >ある営業業務改善のためのミーティングで、「引き合いの分析」をしていたときのこと。> 過去数カ月分にわたる、引き合いの一覧表を、まだ若い管理職がグループの皆に配布し、「受注率を上げたいと思っているのだけど、過去の失注したお客さんに何か傾向はないか」と訊ねた。>すると、一人のベテラン営業マンがすかさず「ここの漢字がまちがってますね」「このシート見にくいですよね」と、表のフォーマットにケチを付け始めた。>その管理職は落ち着いて、「何が見にくいですか?」と聞いたが、そのベテランは「いや、見る人のことを考えたら、もうすこしスッキリさせるでしょ」というだけ。> 管理職は「具体的に何処を直せば良いですか?」と聞くのだが、そこに意見は言わない。
論客は、ああでもなければこうでもないと力説する。では、どうであるかということになるが、自分はどうであるかを決して言わない。自分には、考えが無いからである。
>その若い管理職は内心はイラッときていたと思うが、表情には出さずに、 「フォーマットは後で直します。失注したお客さんについて気づいたことは……」と再度皆に聴き直す。>しかし、先ほどのベテランは再び、「あ、このお客さんの担当、別の人ですよ」と、本筋とは関係のない指摘をする。皆はうんざりしており、場の雰囲気は酷いものになってしまった。
小異を捨てて、大同につくことが事態の進展を図ります。議場に大同を示す人がいなければ、小異の議論から抜け出すことは難しい。
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>このような人、どの会社にも何人かはいるのではないだろうか。
日本人の教育方法の効果によるものですね。暗記ものは、現実の内容を暗記する。現実は見ればわかる。 考えの内容は、非現実である。だから、一人ひとりが違っている。見ることが出来ない。話を聞いて理解しなければならない。このような創造力を育てる学習は、我が国にはない。 我が国では、全て異口同音になる正解を要求している。常識が発達する。人手不足はあっても、頭脳不足は生じていない。
> 傾向として、 「40、50代」 「知識だけはあるが、成果につながる本質的な話ができない」 「プライドが高く、人のやっていることに対して指摘は多いが、自分の意見は(批判されたくないので)出さない」 「男性」という属性があるので、わたしは彼らを「重箱の隅おじさん」と呼ぶ。
暗記ものの勉強で鍛えてきた人でしょうね。従って、序列順位は高くてプライドがある。序列社会のどこに行っても幅を利かせている。困りものですね。
>もちろん、これはオジサンに限るものではないが、何となくそう言う傾向は見て取れる。>で、その「webマーケティングの専門家の方、どうしたんですか?」> 「役に立たないだけでなく、会議のジャマをするんで切っちゃいました。皆の気分を悪くするだけの人なら、知識があっても邪魔ですよね。」
折角の知識が邪魔をしているのですね。
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