1,478万kW/2,039万kW (03/29 17:45)
72%
2017年07月21日(金) 

 

>とくに興味深かったのは「感覚」と「意識」の話でした。>感覚とは「違い」を識別するもの、意識は「同じ」にしようとする。>感覚とはいわゆる五感で感じたものです。>見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる>こういった行為を通して感じたものを、どう違うか識別しています。つまり、違いを見つけるための感覚ですね。

 

そうですね。意識は言語により生ずる効果ですね。アニマルにはない効果ですね。人間に調教されたアニマルの場合には、どうなるのかな。

 

>動物なんかはこの感覚が発達していますよね。>本書の中では犬の話が出ていました。

>犬は絶対音感を持っているから、言葉がわからなくても声の高さが違えば、誰が自分を呼んでいるかわかるというんです。>そして人間も生まれた時は誰しも絶対音感を持っているけれど、発達の段階でなくしていく。>それは「言葉」のせいなんじゃないかというんです。

 

そうかもしれませんね。

 

>お父さんとお母さんの声の高さが違うのに、同じように「タロウ」と名前を呼ぶ。>これを「別」だと認識してしまうと「タロウ」という言葉が成立しない。

>だから音の高さの違いを無視して「タロウ」という同じ言葉としてを理解をしている。>「違う」と感覚が認識したものを、言葉として「同じ」と認識するための能力が意識である。

 

そうですね。伝達される情報は言葉の中で全て提示されるということですね。感覚は、言葉で提示されませんから、他人の痛さは自分では感じられませんね。

 

>つまり、言葉を使う人間だからこそ持っているものが「意識」だというんです。

 

そういうことになりますね。言葉に出して指摘されると、その内容を相手も意識しますね。

 

>そして、人間は「同じにする」能力を持つ「意識」と、違いを感じる「感覚」の両方を持っている。>なのに、現代の日本人はこの「意識」に頼りすぎてるんじゃないかというんです。

 

それはあるかもしれませんね。

 

>確かに、なにもかも「同じ」であることに偏り過ぎているかも。>だからいまの「みんな違っていい」という言葉が響いてきたり、個性を尊重する流れがあったりするのかもしれませんね。

 

考えの内容が吟味されることが無ければ、没個性になりますね。現実の内容は皆が同じになる。非現実 (考え) の内容は皆がバラバラで個性的になる。現実の内容は頭の外にある。これは見ることが出来る。非現実の内容は頭の中にある。内容は無数にあるが見ることが出来ない。話を聞くことはできるが、その内容を理解できるとは限らない。違った考えを保護するためには、個人主義が必要です。個人主義により、個性が尊重されます。

 

(略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数496 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/07/21 21:29
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1196452